桂文枝(かつら・ぶんし)/1966年、桂小文枝(五代文枝)に入門、2012年に六代桂文枝を襲名。06年紫綬褒章、15年旭日小綬章を受章(撮影/写真部・長谷川唯)
桂文枝(かつら・ぶんし)/1966年、桂小文枝(五代文枝)に入門、2012年に六代桂文枝を襲名。06年紫綬褒章、15年旭日小綬章を受章(撮影/写真部・長谷川唯)
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 名人から若手まで、平成「落語ブーム」が止まらない。これまでもブームはやってきたが、今度ばかりは様子が違う。落語家が東西合わせて800人と史上もっとも多くなった落語界の行方は? 芸能生活50周年の桂文枝さんに、今の若手についてお話を伺った。

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 落語家の人数は増えていて、大阪だけでも260人を数えます。ただ人数がいるだけでは駄目で、才能のある人が出てこないといけません。

 あえて言えば、今は落語にとって厳しい時代だと思いますよ。テレビにお笑いの人はたくさん出ているけれど、落語家が出るのは「笑点」くらいでしょう。30分の高座を流してもらうのは難しい。

 落語家はどんな場所でもいいから名前を売って、実際の高座に人を集めなくてはいけません。自分にその手伝いができるのなら、協力したいと思っています。

 東京では(五代目)圓楽師匠、談志師匠、志ん朝師匠、圓鏡師匠がお亡くなりになられ、大阪でも四天王(六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝)が亡くなりました。東西ともに、大変な時代を迎えていると言っていいでしょう。東京、大阪と分けるのではなく、落語界全体として、盛り上げていかなくてはいけません。

 伝統芸能といっても、落語は歌舞伎や文楽とはまったく違います。時代をきちんと見つめる必要がある芸能なので、新作落語は非常に大事です。今、古典と言われている落語も、誰かが作った新作でした。新作を作るのは、財産づくり。今の噺家が次代に残る新作を作っていかないと、300年の歴史を持つ落語が未来へつながらないと思っています。

 落語は、ライバルになるかもしれない若手に噺を教えるという、考えてみればすごい世界です。本当は企業秘密であるようなものも、惜しみなく渡す。しかも無料です(笑)。私も米朝師匠はじめ、いろいろな師匠方にたくさんの噺を習いました。こうしたシステムは、日本から失われつつある、美しいものなのかな、と思いますね。

AERA 2017年3月27日号