――写真学校の卒業ですね
多摩美術大学付属の芸術学園を卒業し、埼玉県鶴瀬で写真店を1年半くらいやっていました。合間に漫画を描いて出版社に持ち込み、認められて昭和39(1964)年に赤塚不二夫先生に弟子入りしたんです。当時は写真が仕事で漫画が趣味、今は漫画が仕事で写真が趣味。やっぱり趣味のほうが楽しいんだよね。(笑)
――カメラは何台お持ちですか
数えたことないけど200台くらいかなあ。「釣りバカ日誌」の連載が始まった昭和55年ごろから、新宿や銀座の中古カメラ店へ2カ月に1度くらいのペースで通っていました。よく集めたよ。中古カメラ屋が開けるね(笑)。購入の基準は、昔ほしかったけど金がなくて買えなかったカメラ。それと、ショーケースから呼ぶか呼ばないか(笑)。
気になるカメラを見つけると、「学生時代にあったかなあ」とか言って30分くらい会話するんだ。そのときは買わないけど、1過間後にまだ置いてあったら、「ぼくを待っていた」と思ってついつい買ってしまう。
――学生時代はどんなカメラを使っていましたか
キヤノンR-1000は授業でよく使っていた。杵島隆さんが講師で、毎週100本のフィルムを使い切ることが目標だったんです。練馬区光が丘にあった米軍の将校クラブで皿洗いしてフィルム代を稼いでいました。ほかにミノルタSR-1や二眼レフのマミヤC220、高校時代はフジカ35Mなどを使っていました。なかでもニコンFは、写真館の息子が使っていて羨(うらや)ましかった。憧(あこが)れのカメラでした。
ライカも購入したのは後年。学生時代にテレビドラマ「カメラマン・コバック」を見て、初めて知ったんです。チャールズ・ブロンソン演じるカメラマンがライカを腰ベルトに挟んで証拠写真を撮り、犯人を追い込んでいく。その姿がカッコよくて憧れましたね。それで、ぼくと同じ年の1940年製ライカIIIcを中古カメラショーで買った。
購入して失敗したと思うカメラはないですね。使うカメラという基準だと必ず失敗するけど、ぼくの場合は趣味だから。
――当時はどんな写真を?
スナップが多かったですね。稲毛海岸で潮干狩りの親子や、米軍キャンプで軍人やアメリカ人女性のスナップを撮っていた。授業で、霞が関へ安保闘争を撮りに行ったこともあります。警官に近づいて真正面からシャッターを切った。今はできないよ。ぼくはジャンパーだったからよかったけど、学生服を着ていた同級生が何人か逮捕されて帰ってこなかったですね。卒業制作では与論島まで行った。島全体がフォトジェニックで、何を撮っても絵になるんです。
最近は休みになると昔のネガを引っ張り出してプリントしています。宝物を探す感覚ですね。エプソンF-3200は、一度に35ミリフィルムを12枚取り込める。あとはパソコン上でフォトショップを使って修整。コピースタンプツールで細かい汚れを一つひとつ取り除くと、当時の写真がきれいによみがえる。ネガが古いと汚れが多いから、やり始めると止まらないんだ。気づいたら朝になっていることもあるよ。最近はプリンターの性能が上がったから、A4サイズで出力しても印画紙と遜色なく仕上がる。暗室がなくても昔のネガを現像できるから楽しいね。昔撮った写真は、ワインのように熟成されていい味が出るんだよね。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2005年11月号」に掲載されたものです