沈まぬはずの“電機の巨艦”が1兆円超の巨額損失の渦に飲み込まれようとしている。原因は原発事業の失敗だ。成長期や昭和のニッポンを力強く牽引し、明日は今日より豊かな生活をもたらした名門企業で、一体何が起こったのか。そのとき社員や関係者は何を見て、どう感じたのか。そして何が元凶だったのか。AERA 2017年4月17日号では「苦境の東芝」を大特集。
上意下達と自由闊達。まったく異なる東芝像を抱く社員たちがいる。なぜか――。関係者が証言する東芝の“体質”とは。
●「自由闊達だったのに」(柳町事業所元社員/坂本光庸さん(80)1955~60年在籍 技術)
組織は自由闊達で、若い人からアイデアを募っていました。下から意見や企画を上げるのが普通で、私も社長賞をもらった記憶があります。
今は逆で、他の意見を聞かず、役員だけで決めているのではないかと思います。経営陣の足の引っ張り合いも、モノづくりを軽視している。WH買収のようなm&Aで利益を出そうとする姿勢も疑問です。原子力への投資に偏り、バランスが崩れてしまったのでは。
●「転職までバックアップ」(国士舘大学/神野誠教授(56)1985~2008年在籍 研究開発)
5年、10年先を見据えた研究が主眼で、新事業を創出するのが使命と考えていました。面倒見がいい先輩が多く、仕事も研究の進め方も教えてくれた。上司は部下の成果を上にアピールする社風でした。東芝での医療ロボットの研究成果を事業化するために私が転職する際も、当時の研究開発センター長の田井一郎さんが背中を押してくれ、執行役常務になった斉藤史郎さんも「東芝としては痛手だが、事業化までやりたいなら頑張れ」とバックアップしてくれた。
●「東芝の株は最後まで持つ」(元事務系社員/男性70代)
臨時株主総会に出たが、問題の本質がわからなかった。体制を立て直せていないのでは。元社員として、先輩方に恩義を感じている。応援の気持ちも込め、東芝の株は最小限だが最後まで持っているつもりだ。副社長の成毛(康雄)氏が半導体事業売却の必然性に言及していたが、彼はフラッシュメモリーの開発者。心中察するに余りある。