坂本衛(さかもと・まもる)/中学卒業後、町工場を経て国鉄入社。旅客規則を丸暗記するなど猛勉強し、倍率10~15倍の車掌試験に合格(撮影/楠本涼)
坂本衛(さかもと・まもる)/中学卒業後、町工場を経て国鉄入社。旅客規則を丸暗記するなど猛勉強し、倍率10~15倍の車掌試験に合格(撮影/楠本涼)
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 国鉄が解体し、7社のJRが発足して30年。株式上場を機に、脱テツドウにシフトする会社があれば、お先真っ暗な未来にアタマを抱える会社あり。現在のリストラなど働く人たちの労働環境悪化は、国鉄解体に原点があるとの指摘も。「電車の進化」などさまざまな切り口で30年を検証していく。AERA4月10日号では「国鉄とJR」を大特集。

 国鉄へのバッシングがピークだった時代、そこで働く国鉄職員たちは、いったい、どんな思いでいたのか。昭和の鉄道マンを題材にした漫画「カレチ」を手掛けた池田邦彦さんや、「カルチ」のモデルにもなった元国鉄職員の坂本衛さんに、当時の思い出を振り返ってもらった。

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 最盛期(1965年)には46万人の職員を抱えていた国鉄。田舎の小さな駅にも駅長がいて、貨物列車の車掌や踏切警手など今は失われた職場が多くあった。

 漫画家の池田邦彦さん(51)は『カレチ』で長距離列車に乗務する客扱専務車掌、通称「カレチ」を主人公に様々な国鉄職員のエピソードを描いた。「国鉄末期は、未熟な職員がフレームアップされすぎている」と池田さん。子どもの時、東京・目白駅で山手貨物線を眺めていると駅の助役が感慨深げに「鉄道好きか?そうか、鉄道好きか」と声をかけてきた光景が忘れられない。

「当時は国鉄職員へのバッシングがピークだった。鉄道好きの子どもの存在が救いだったんじゃないでしょうか」(池田さん)

『カレチ』のモデルの一人が、『昭和の車掌奮闘記』(交通新聞社)などを書いた坂本衛さん(82)だ。大阪車掌区に所属し、大阪~青森間などの長距離列車に搭乗した。

「不正乗車や料金収受漏れがないようにと必死でした。客に絡まれたりもしましたが、他の客が見ている前で下手に妥協もできない。止まるべき駅を飛ばさないようにも気を使いました」

 雪で動かない列車の客のために近くの旅館に炊き出しを頼み、それが来る前に発車を命じた指令に「文句があるなら出てきなはれ」とケンカも。「こんな面白い仕事はない」と打ち込んだ坂本さんだが、民営化を機に退職。国鉄マンの働きが悪く、経営を傾けたとの見方に異を唱える。

「一昼夜働いて昼間帰るシフトが多く、『いつも昼間に見るけどいつ働いているんですか』と勘違いされた。そんな積み重ねが悪いイメージにつながった」

(編集部・福井洋平)

AERA 2017年4月10日号