仕入れ業者にも、銀行にも、信販会社にも、税務署にも、払っても払っても借金はなくならない。税務調査の日から1年ほど経った真冬の深夜、大田さんはマンションの7階自室のベランダの手すりの上に立っていた。

「無意識だったんでしょうね、ふっと我に返ると地面を見ていて、ビックリして手すりをけってベランダ側にもんどりうって助かった。自殺しようと考えたつもりはないんですけど」

 その日から、後ろ向きになるのをやめた。空手の指導員も務めていた猛者の大田さんは言う。

「逃げれば相手も調子づいてパンチも痛いけど、バーンと前に出て受け止めたらそれほど痛くない。卑屈になる必要はないと思って、それからはどんな相手にも前に出て交渉ですわ。自慢じゃないけど私は住所も携帯番号も一切変えていません」

 マンション販売や解体の仕事も始め、返せる借金は返し、訴えられた民事訴訟では全て代理人をつけずに裁判所に出廷した。

「10件以上訴えられて、判決が出たものは全て敗訴。仕方ないですよね。裁判所の執行官が差し押さえに来ても、持っていくものがないから『執行不能』で終わる。債権の回ったサービサーからも頻繁に連絡がありましたけど、最後は友だちになります。『判決取ったらいいやん』と言う私に、大抵は『裁判は時間かかるんですよ。頼むから破産してください』と言ってくる。損金で処理できるから先方はそっちのほうがいいんでしょう」

●現実を受け入れる

 大田さんが破産に踏み切ったのは、東日本大震災がきっかけだった。人脈をたどって岩手県の沿岸部で解体、土木工事をすることになったからだ。

「裁判の度に大阪に戻ってくるわけにもいかなかったし、中途半端な気持ちでは被災地の方々にも向き合えないと思って、旧知の弁護士に頼んで自己破産の手続きをしました。あれからもう5年たって、最初は友人にお願いしていた社長も私が引き継いでできているし、税金もちゃんと払っています」

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