小柄で華奢な肩が、小さく震えた。中学生からの夢だった保育士を退職せざるを得なくなった桜井里美さん(仮名、23)だ。大きな瞳でじっとこちらを見つめ、時折柔らかな表情でほほ笑む彼女は年齢よりずっと大人びて見える。

 父はリーマン・ショックの影響で早期退職を余儀なくされ、以来現在まで無職。母も非正規で収入が安定せず、学費に充てるために日本学生支援機構に第一種と第二種の併用を申請。ただ、成績などの要件がある第一種の枠から外れ、第二種のみの貸与となった。

 短大に入学後、週に3、4日飲食店でアルバイトし、帰宅は23時を過ぎることも。保育実習などとの両立は体力的にきつかったが、夢に向かって勉強できる毎日は充実していた。

 卒業後、晴れてスタートした保育士の仕事。ある程度厳しい職場だとは覚悟していたが、現場は想像以上に壮絶だった。
 勤務は平日が基本だったが、土曜保育や日曜のイベントのための準備に追われ、ほぼ連日連勤に。上司からは「残業するな」と指導されていたため、園児の衣装やお遊戯の準備、資料作成を自宅に持ち帰り深夜まで残業に追われることもあった。

「同僚のSNSを見ると、自宅で残業する写真が載っていたので『当然なのかな』と思っていました」

●パワハラで鬱状態に

 仕事量とギスギスした人間関係に次第に神経がむしばまれ、不安や憂鬱にさいなまれ続ける適応障害に。職場の変更を願い出て、配置転換はかなったものの、異動先で上司からパワハラにあってしまう。

 保護者や園児の前で、上司から「指導の仕方がおかしい」「いても迷惑だから、さっさと帰れ」と大声で叱責され続けた。自分の仕事に自信がなくなり症状が悪化、鬱状態に。それでも辞められなかったのは、少なからず奨学金の返還というプレッシャーがあったからだ。

「大きい額の借金をいつまでも背負っていたくなくて、『早く支払ってしまいたい』という焦りもありました」

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