川滝医師は人工呼吸器や点滴の管がついて簡単には動かせない美衣ちゃんのベッドを窓際に移動し、カーテンを全開に。白い入道雲が広がる、真っ青な夏の空が見えた。竹縄さんは言う。
「あのとき空を見せてあげられなかったら後悔しかなかった。今も川滝先生のおかげで、美衣が生まれてきてくれてよかった、と思えるんです」
川滝医師は当時を振り返って言う。
「患者さんに教わったことを次につなげようと思ってやってきました。短くても、生まれてこられなくても、無駄な命だったとは思ってほしくない。治らない患者さんにこそ、向き合いたい」
赤ちゃんの死に直面した親たちは悲しみに暮れ、多くは途方に暮れてしまう。一方で、赤ちゃんと過ごす時間には限りがある。死産や新生児死を経験した家族の「グリーフケア」を研究する聖路加国際大学看護学部の蛭田明子助教はこう説明する。
「亡くなった赤ちゃんとふれあい、赤ちゃんのために今できることをする。このことが、子どもの存在を確かなものとし、後々両親が亡くなった赤ちゃんとのつながり、絆を感じるうえで心の支えとなることがあります」
我が子の死に、何ができるのか考える余裕もない親たちにとって、そばにいる医療者の果たす役割は大きい。
●おなかにいる間に思い出をいっぱいつくる
1992年、日本で初めて小児専門病院に産科が設置された神奈川県立こども医療センターは、おなかの子に病気が見つかった妊婦やリスクの高い出産を控える妊婦を多く受け入れている。
母性病棟で働く助産師の舟山ゆかりさん(51)は先日、おなかの子が長く生きられない病気だと判明した妊婦にこう伝えた。
「おなかにいる間にいっぱい思い出をつくっていらっしゃい」
数週間後、その赤ちゃんは子宮内で亡くなり、入院した妊婦が舟山さんにお礼を言いに来た。助言を受けて遊園地に行った時、「赤ちゃんが今までにないぐらい元気に動いた」のだという。
舟山さんには苦い経験がある。今から約30年前、助産師として就職した総合病院で初めて後期流産(死産)の分娩に立ち会ったとき、父親と祖父母の意向に従って、赤ちゃんを母親に会わせないまま出棺した。「自分の無知で母親につらい思いをさせた」と後悔の念が消えない。