
中森明菜、チェッカーズ、ラッツ&スター……。80年代歌謡曲の黄金時代を彩るスターたちの言葉を生み出してきた作詞家・売野雅勇。歌謡曲の定式を破り、不良少年の純情や大人の切なさを鮮やかに切り取ってきた。
──豪華ミュージシャンが多数出演した、35周年記念コンサートが8月に開催されました。
素晴らしいコンサートでした。こんなにお客さんに喜んでもらえるのかって、自分でも驚きました。みなさんが、僕が歌詞を書いた曲を愛してくださっていることがよくわかって、それが何よりも嬉しかったですね。あと、自分で言うのも何ですが、いい曲ばっかりだなって思いました(笑)。
──(笑)。その後9月には、初の自伝を出版されましたが、当時の様子がありありと描かれていて、本当に驚きました。
もともと、記憶力はいいんですよ。ただ、なかなか思い出そうとしない(笑)。それをこの機会にちゃんと思い出すことができて、すごく良かったですね。なかなか充実した1980年代でした(笑)。
●コピーから作詞へ
──売野さんは、コピーライターから作詞の道に入られました。
まあ、それも偶然みたいなものですよね。フリーのコピーライターをやっていたときにレコード会社のディレクターの方に「作詞をしてみないか?」と言われて。その頃、コピーライターの糸井重里さんが作詞した沢田研二さんの「TOKIO」が大ヒットしていて、僕にも何か書けるような気がしたのかな。で、書いてみたら、みんなが面白いと言ってくれた。だから僕の場合、自分の意思とは関係のないところから始まっているんですよね。
──売野さんは当時、どんな歌詞を理想としていたのですか?
“詠み人知らず”みたいなものが、結局いい歌なんだろうなっていうのは、当時から思っていました。つまり“エゴ”がないもの。僕がラッツ&スターに書いた「め組のひと」は、麻生麗二名義で書いたから、「あれも売野さんだったの?」って散々驚かれましたが、そういう感じが理想というか。
いなせだね 夏をつれてきた女
渚まで噂走るよ めッ!
涼し気な目もと 流し目
eye eye eye
粋な事件 起こりそうだぜ めッ!
ラッツ&スター「め組のひと」
作詞:麻生麗二 作曲:井上大輔
──それは、80年代という時代的な雰囲気とも関係していたのでしょうか?