
2014年に劇団四季の経営から退いた演出家の浅利慶太。いま、精力的に舞台の演出に取り組んでいる。特に力を入れるのは、自らが体験した戦争の実相を伝える「ミュージカル李香蘭」。「語り継ぐ責任」を果たしたいという。
開幕まで2週間に迫った「ミュージカル李香蘭」の稽古場。激しい群舞とともに戦前の大流行軍歌「月月火水木金金」を「海兵」が合唱するシーンが始まる。
「朝だ 夜明けだ 潮の息吹き……」
すぐに「ダメだし」がかかり、17歳から30過ぎまで十数人の男性アンサンブル全員が、緊張した表情で演出家・浅利慶太(83)を囲む。
「朝を感じ、夜明けを感じなければ……。いまの時期は言葉のイメージをつかんで広げるのが大事だ」
決して声を荒らげはしないが、相手を揺さぶるような物言い。演者一人一人のセリフに実感を求めながら、同じシーンの稽古が15回、繰り返された。
●経営の重荷を下ろした
浅利は、1933年東京生まれ。2年前の31年に満州事変が起こり、8歳の時に太平洋戦争開戦、11歳の時に空襲が始まって軽井沢に疎開し、そこで45年の終戦を迎えた。その年の12月に上野駅に戻ってきたとき、目にしたのは一面の焼け野原だったという少年時代。
「戦争しかありませんでした」
愚かさと狂気にとらえられ、国民に物心両面で深い傷を負わせた時代の肌触りを舞台上に蘇(よみがえ)らせようと、猛暑の中で連日長時間、若い俳優たちと格闘する。このシーンに漂うどこか奇妙な明るさは、少国民世代の浅利が体感した戦争へ向かう社会の、リアルな雰囲気のようだ。
若い世代があまりにも戦争の実相を知らないと感じた浅利が、「日中戦争」「満州国(現中国東北部)」「太平洋戦争」をめぐる史実を背景に書き上げたのが「ミュージカル李香蘭」だ。日本人ながら中国の歌姫としてスターに上り詰め、その果てに死刑寸前にまで追いつめられる李香蘭の数奇な人生を、歴史を冷静に見つめながらたどる。91年の初演以来、870回以上の公演を重ね、中国やシンガポールでも上演され、好評を博してきた。