



――写真へのきっかけは
親父(タップダンサーでトランペッターの日野敏)がカメラ好きでずっと撮っていたし、自分で焼いていた。小学生のときに現像を手伝わされて薬を溶いたり、温度計を見つめていたりしたのを覚えています。「アサヒカメラ」などのカメラ雑誌もとっていて、「これが土門拳の写真だ。見てみろ」とか言ってましたね(笑)。カメラはライカマウントのニッカやフジカなどで、晩年はぼくと弟(ドラマーの日野元彦)の演奏をよく撮っていて、テレビに出ると画面にカメラを向けていました。(笑)
ぼくも中学生のころは、中禅寺湖の旅行を撮って自分で焼いたりしていた。カメラはコダックの箱形で、親父のカメラだけど、ぼくのもの同様だった。
――写真はそれからずっと?
いや、転機があった。ジャズをやるようになって、撮られる側になるじゃないですか。被写体になると、写真がわかるね。池袋のクラブでプーさん(菊地雅章=まさぶみ=)と演奏しているのを内藤忠行さんが撮ったんだけど、その写真を見ると格好いいんだよ。アングルとか照明とか、写真ってすごいと思ったのが、もう一度カメラを握るきっかけでした。70年代には東京やニューヨーク、香港など街を朝から晩までカメラを持って歩き回ったこともある。モノクロで被写体がブレているようなイメージを撮りたいと思って、トライⅩで増感した粒子の粗い写真なんか得意だったね。
――そのころの愛機がコンタックス139クオーツですか
コンタックスの50周年記念モデルでボディーに革張りのデザインが粋だし、小さくてハンディ、それにカールツァイスが付いている。ライカ派とコンタックス派って分かれるけど、(渡辺)貞夫さんがライカ派だったから、ぼくはコンタックス派に。(笑)
――ツァイスの25ミリですね
街を歩きながら撮影するには、ベストな細み合わせなんだ。広角だと、パッと構えたときに、ピント合わせしなくてもそれなりに撮れちゃう。100分の1秒でF8みたいなさ。もともとブレ、ボケの写真が大好きだし、逆光も進んで(笑)。どうやって人と違う写真を撮るか、いろいろやってみるんです。ニューヨークのビルと空を撮るときも、サングラスをレンズの前に入れて、フィルターをかけた効果をねらったりしてね。大切なのは構図と色合い、バランスだと思う。
――最近は、デジカメでの撮影が多いそうですが
趣味で絵を描くようになって、景色などを記録しておく機会が増えたからね。今はそれで十分。ぼくは凝るから絵か写真、どっちかになっちゃう。やるからにはアートしたい。トランペットと同じだからさ。作品をつくるなら、ぜったいにフィルム。アナログの不完全さというか、あいまいな表現に魅力を感じます。
――不完全さの魅力とは
ジャズというのは、自分たちが感じてる音と録音した音は全然違うんですよ。トランペットを吹いているときに、自分の頭蓋骨(ずがいこつ)に響いている音がある。でも録音された音は違う。それは生演奏も同じで、お客さんの耳に届いている音とは隔たりがある。見るものとか聴くものを正確に再現しなくちゃいけないという人もいるけど、ぼくは最初から同じわけがないと思っているから、だったら不完全なほうが夢があっていい。夢の中にいるんじゃないかみたいな、そういう表現っていいなと思うんです。
写真も、あいまいであるがゆえに面白い。そこに写真の魅力があると思う。デジタルだと毛穴まで正確に描写するようなところがあり、肉眼より被写体を解像してしまうじゃないですか。それって、格好悪いよ。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2005年5月号」に掲載されたものです