だが、81年に見せたのは、よろいのような筋肉質な体で鋭く立ち、前まわしを持って引きつけて一気に前に出る速攻相撲。力まかせな相撲ではなくなっていた。
一日500回の腕立て伏せ、肩を柱にぶつけるけいこなどで徹底的に鍛えた。あまりに急な肉体の変化に「筋肉増強剤を使っているんじゃないか」と疑う記者もいたという。
89年9月の秋場所には、通算勝ち星を当時歴代最多の967に伸ばし、角界初の国民栄誉賞を受賞。その後、星を1045(歴代2位)まで積み上げ、優勝は31回(歴代3位)を数えた。30歳を超えてからの優勝が19回。大器晩成の横綱だった。
横綱を張って10年。18歳の貴花田(元横綱貴乃花)に敗れた91年夏場所、「体力の限界」と涙ながらに引退を表明した。活躍した時期は好景気に沸いたバブル期と重なる。まさに時代を象徴する横綱だった。
「田舎から出てきて、体も小さい。特別でない境遇の人が頂点を極めようと頑張った。多くの日本人が夢を託せる力士だった。そんなの、千代の富士が最後じゃないかな」(中沢さん)
偉大な実績から、大鵬、北の湖と同じように一代年寄の名跡資格を与えられた。だが、一代限りの部屋にしたくないと断って師匠の「九重」を継ぎ、後に語っている。
「力士の個性に合った、わかりやすい指導で、よいところを伸ばしていきたい。夢は大きく。ぜひ横綱を育てたい」
享年61。膵臓がんには勝てなかった。九重の名跡は元大関千代大海が継いだ。第2の千代の富士を育てる夢も、弟子に託された。(朝日新聞スポーツ部・菅沼遼)
※AERA 2016年8月15日号