大鵬、北の湖に続き、一時代を築いた大横綱がまた一人、この世を去った。
千代の富士。「ウルフ」と呼ばれたスターは、バブルの時代にまぶしく輝いた。
伝説的な年がある。1981年。日本中の相撲ファンの目が土俵のウルフに集まった。
1月の初場所、25歳の関脇千代の富士の初優勝の期待が膨らんでいた。大相撲担当の駆け出しだった元朝日新聞記者の高橋清太郎さん(72)は振り返る。
「ものすごい人気だった。場所後に『アサヒグラフ』で特集を組むことになっていて、とにかく毎日、コメントをとった」
●世帯数の半分くぎ付け
1月25日の千秋楽、116キロの千代の富士が、当時27歳ながら20回の優勝を誇っていた横綱北の湖との優勝決定戦を上手出し投げで制し、初優勝を遂げた。テレビ中継は関東地区で世帯視聴率52.2%(ビデオリサーチ調べ)を記録。今も破られぬ大相撲中継の最高記録だ。
新大関で迎えた3月の春場所は11勝。5月の夏場所は13勝。そして7月の名古屋場所では千秋楽にまた北の湖を破り14勝で優勝し、横綱昇進を決めた。11月の九州場所で3度目の優勝を果たし、81年のうちに関脇、大関、横綱で賜杯(しはい)を手にした。三段跳びで頂点に上り詰めたフィーバーぶりについて聞かれると、こう答えた。
「こんなに痛いものとは、想像していなかったよ」
高橋さんは言う。
「花道などで肩や背中をパチパチとたたくファンが増えることを、『これも人気のひとつかな』とユーモアを交えて話していた。支度部屋では背を向けてしまう力士もいる中、冗談で笑わせてもくれる。話を聞くのが楽しみな横綱だった」
北海道の漁村で生まれた。スポーツ万能の中学生は、当時の九重親方(元横綱千代の山)の「飛行機に乗れるぞ」という誘いに乗り、70年に初土俵を踏む。
相撲ジャーナリストの中沢潔さん(82)は入幕前の印象をこう語る。
「十両時代は細いのにとにかく勝ち方は派手。大きな相手を投げたりね。でもそれが脱臼などのけがにつながった。相撲が体に合わず、でかすぎた」
●驚くほど急な身体改造