プリスクール(就学前教育)で働く女性(47)は、家庭に問題を抱え別の家庭で保護されている児童にかかわる。保護者との連絡には、ヴィルマというウェブアプリを使う。国内の保育園や小学校で共通して使われているオンラインの連絡帳で、出欠の連絡や、今日の気づきなどを学校と保護者で送り合う。

「今日、彼はすごく荒れていたけど、何か変わったことがありませんでしたか?」

「朝からきょうだいとケンカしちゃって……」

 と、こんな具合だ。内容は、この児童のケアグループである児童心理の専門家、特別支援教員、役所の児童担当課職員などで常に共有する。もちろん保護者には見られない専門家だけのやり取りもできる。

 フィンランドは、1948年に、年金や失業保険よりも早く児童手当を導入するなど、徹底した「チルドレンファースト」を貫いてきた。親の経済格差が子どもに影響しないよう、プリスクールから大学までの授業料はすべて無料。医療費も、17歳まで公立の病院なら無料だ。

●社会保障より経済活性

 充実した福祉を支えるのは高い税率だ。富の再分配に抵抗がないのか、IT企業に勤め、高級住宅街に暮らし、昨年生まれた長女の育休中のアレクシ・リンタ=カウッピラさん(30・男性)に聞いてみた。

「子どもが生まれて初めて、自分たちが支払ってきた税が循環していると感じた。僕が今成功しているのは無償で教育が受けられた社会のおかげ。娘のためにも、社会のボトムアップが大切だと考えています」

 しかしそんなフィンランドが今、揺れている。高齢化で社会保障費が膨れ、子ども向けの支出が削減され始めているのだ。保育園では3歳以上は「子ども7人あたりに教師1人」だったのが、昨年から「8人あたりに1人」に改定された。また、どんな家庭でも公立保育園で丸一日保育を受けることができたが、今年からは両親のどちらかが家にいる家庭などの子どもは4時間までという制限が設けられた。ただ、社会保健省によると、これらを行っても結局、育児休業手当や失業保険を支払うことになり、国のコスト削減にはならないという試算もある。

 そこで政府は、社会保障費を削減するのではなく、経済の活性化に舵を切った。導入を検討しているのが「ベーシックインカム(BI)」だ。17~18年にかけて、国内からランダムに選んだ7千人を対象に試験導入する。児童手当や住宅補助等以外の社会保障をBIに統合し、すべての25~58歳に月額600ユーロ、日本円で約7万2千円を支給する。導入の背景には、福祉国家ならではの理由がある。

●BIでさらに底上げ

 パーソネン真理さん(40)は4歳の娘と2人でヘルシンキ市に住むシングルマザーだ。失業中のため、失業保険700ユーロ、児童手当145ユーロが月々支給される。家賃も70%補助があり、保育園も無料だ。

「こんなに良くしてもらって国の財政は大丈夫かと不安になります。日本に帰国? この子のことを考えると無理ですね」

 現在は学校で障害を抱える子どものために活動するスクールアシスタントの資格を取得し就活中だが、仮に就職できたとしても月収は1580ユーロと低く、失業したままのほうが得かもしれないと思うこともある。

「もし私が働いたら、収入が高くなるほど税率も高くなり、社会保障給付も減らされる」

 福祉の充実が労働意欲を減退させている側面があるのだ。事実、フィンランドでは月2千ユーロ以上の収入がなければ社会保障を受けていたほうが得だ。また税制が複雑なため、短期雇用者は後からどれだけ税を引かれるか分からない。

 BIが導入されれば、働いて税金が多くとられても、最低限の生活は保障されるという安心感から労働意欲が増すと予測される。BI政策の責任者である社会保険庁事務所のオッリ・カンガス教授は言う。

「社会保障制度のパラドックスを解消して失業者やシングルマザー、短期雇用者など低収入の人たちの労働意欲を高めるのが狙いです。セーフティーネットをより強固にし、社会全体の底上げに挑みます」

 BIは子どもの貧困にとって最強の予防策となるのか。結果は19年に発表される。(編集部・竹下郁子)

AERA  2016年7月4日号

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