女優の歌う歌が好きである。
それは、ミュージカル・スターの歌う歌、という意味ではない。ジュリー・アンドリュースやバーブラ・ストライサンドの歌う歌のことを言っているわけではない。彼女たちは、女優であるとともに、歌手でもあるわけで、歌のプロでもあるわけだ。わたしが、言いたいのは、女優としてはプロだけれど、歌手としては、プロではない、という女優たちのことだ。
そんなことを最初に思ったのは、アラン・ドロンが主演した『太陽がいっぱい』の中で、マリー・ラフォレが、ギターを爪弾きながら、はなうたを歌っているのを見た時からだ。ラファエロの画集などがあって、ちょっと生意気で、アラン・ドロンでなくても、やられちゃいますよ。これがデビュー作だったと思う。清楚で、きれいだった。
次が、オードリー・ヘプバーンの《ムーン・リバー》だろうか。
この曲、映画『ティファニーで朝食を』の中でヘプバーンが、やはり、ギターを爪弾きながら独り歌うのだが、同時代に販売されたサントラには、入っていなかった。ヘップバーンの歌が入ったのは、それからずいぶん経ってからだったように思う。やはり、話題になって、わたしも買った。今でこそ、DVDなどで、歌っている姿も簡単に見ることができるけれど、当時は、サントラ盤が便りだったわけだ。その後の『マイ・フェア・レディ』で、吹き替えをされてしまったわけで、ヘップバーンは、《ムーン・リバー》以外に、歌を残していないと思う。
次は、マリリン・モンローだろうか。
彼女の場合、ミュージカル映画もあるわけで、はじめに言ったミュージカル・スターとは違うのか?という問いが出てくる。
このテーマを選んだ時点で、矛盾をはらんでいるのは、わかっていた。
ここで、一度、整理しておこう。
まず、女優のなかにも、
1.歌を歌う女優
2.歌わない女優
3.映画に出演する歌手
この、歌を歌う女優の中に、プロの歌手と呼べる人もいれば、正確ではないかもしれないけれど、余技のように歌う女優もいる、といえば、少しは、わかってもらえるだろうか。
とは、いっても、が、マリリン・モンローもマリー・ラフォレも、それなりにCDとしても発売されているし、余技とは言えないな。誤解を恐れずに言えば、プロっぽくない、とでも言っておこうか。
次にあげようと考えていたのは、マレーネ・ディートリッヒだったが、この人も、人生の後半は、むしろ歌手として過ごしている。《リリー・マルレーン》のような有名曲ももってる。バート・バカラックといっしょにツアーもしていたことを考えると、この人の歌手活動も、余技ではなく、大歌手ともいえるくらいだな。
では、日本を見てみよう。
はじめに考えたのは、吉永小百合だ。しかし、この方も、歌手デビュー50周年記念BOXセットなる6枚組100曲入りCDを出しているくらいだから、余技ではないか。
もう一人といえば、高峰秀子。《銀座カンカン娘》などであろうか。この歌は、1949年に公開された『銀座カンカン娘』の主題歌で、大ヒットした。作曲は服部良一、作詞は佐伯孝夫だ。この映画には、《東京ブギウギ》の笠置シヅ子や、五代目古今亭志ん生なども、出ているので、興味のある方も多いのではないだろうか。特に、志ん生は引退した落語家の役で、映画の中で、落語もするという貴重映像つきだ。
と、ここまで書いてきて、気づいたのは、女優さんたちの歌というのは、どこかにそれぞれの持つ個性というのがプロの歌手とは違った魅力となって出ているのだと思う。あるいは、その旬の時期の歌声や魅力が残されているのではないだろうか。それが、歌のうまい名歌手とは、少し、違った魅力になっているように思う。
さて、最後になってしまったが、薬師丸ひろ子が、23年ぶりに単独コンサートを開くという。芸能生活35周年とのことだ。
映画『野性の証明』でデビューした少女は、機関銃を撃ちまくった後、今や、三丁目に住んでる昭和のお母さんになってしまった。今回、これを書くにあたって、薬師丸ひろ子の音楽活動を確認したが、10枚前後くのアルバムを発表している。この方も、余技とは、いえないなあ。素直な歌声が好きなんです。
私事で恐縮だが、チケットぴあが開始した1984年。わたしは、チケットぴあ渋谷109店の初代店長になった。
はじめての、ファッションビル渋谷109の店長会議で、なにか1曲歌ってください、といわれ、《セーラー服と機関銃》を歌った。
あ、もう一人、忘れられない人がいました。
原田知世だ。カーディガンズのトーレ・ヨハンソンがプロデュースして話題になった、『クローバー』『I could be free』も、おススメです。[次回7/10(水)更新予定]
■公演情報は、こちら
http://kyodotokyo.com/yakushimaruhiroko