見舞いに来る同僚や上司に何度も訴えた。自宅療養中、外出はつらかったが、電車に乗り、会社まで行く練習もした。
その甲斐もあって09年1月、元の社会部記者に復帰した。失われた8カ月間を取り戻すため必死だった。取材や張り込みに、率先して出掛けた。14年には、希望していた厚生労働省の担当になった。
一方で、若いがん患者のためのフリーペーパーを発行。ヨガや料理のワークショップも開いた。14年には、イギリス発祥のがん相談支援所「マギーズセンター」を東京にもつくろうとクラウドファンディングで2200万円を集めた。NPO法人を立ち上げ、設立準備にあたる。
キャンサーギフト。がんになったからこそ得られた経験があると、鈴木さんは実感している。
「がんは私にとって“鬼コーチ”のようなもの。いいことも、大変なことも教わりました。もしがんにならなかったら、自分のテーマがないまま記者をしていたかもしれません。生死に関する情報を伝えたいと明確に思えたのは、がんのおかげです」
※AERA 2015年9月7日号より抜粋