『Live in Tokyo』ジョニー・グリフィン
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 ジャズ界で「男の中の男は?」と問われたら、テナーの雄、コールマン・ホーキンス、エディ“ロックジョウ”デイヴィス、それにジョニー・グリフィンと答える。グリフことグリフィンは多数派のハードバップ・ファンにとって「ハードバッパーの鑑」というべき存在だろう。艶やかなビッグトーン、世界一の早撃ち男の異名をとったバカテク、ブルージーでエモーショナルな語り口、なによりも一発でそれと知れる強烈な個性と、ソニー・ロリンズですら羨んだ男に不足のあるはずがない。加えて、周りの雑音に左右されず終生「テナー一本晒に巻いて行くが男の生きる道」を貫いた潔さも支持を集める所以だろう。短躯にジャズ魂を漲らせて「リトル・ジャズ」と尊称されたロイ・エルドリッジ(トランペット)に準じて「リトル・ジャイアント」と呼ばれた。嫌いという方は端からジャズ・ファンではない。グリフにはモダン・ジャズの精華、ハードバップの魅力が満載なのだ。

 1976年4月、グリフはグループを率いて初来日する。グリフとアート・テイラー(ドラムス)は1963年に、ホレス・パーラン(ピアノ)は1973年に渡欧し、コペンハーゲンを拠点に活動していた。マッズ・ヴィンディング(ベース)は同地出身だ。当時のグリフの知名度や評判がどうだったのかをはじめ、公演に足を運ぶかどうか迷った記憶すらない。ハードバップ再興をうけたアメリカン・ツアーが好評を博すと活動範囲を母国にも広げ、東西を股に掛けて活躍するようになるのはこの3年後だ。初来日の時点では筆者のような初心者には関心の外の通好みだったのかもしれない。1980年代には何度も来日している。当初は5曲がLP『ライヴ・イン・トーキョー』『リトル・ジャイアント・リヴィジテッド』(Jp-Philips)に分散収録され、CD化の際に『ライヴ・イン・トーキョー』(同)として1枚にまとめられた。推薦盤には《ソフト&ファーリー》を除く4曲が収録されている。

 これが幕開けとすればだが、まばらな拍手が通好みだったのではとの観測を補強する。十八番の《オール・ザ・シングス・ユー・アー》ではイントロを省きトップ・スピードで切り込むと、テーマ・ヴァリエーション→テーマ→マシンガン・ソロ→想像の翼を広げる無伴奏ソロと、都合9分30秒を吹き荒ぶ。即座にパーランと知れる黒く捻じれた好ソロ、グリフのソロ、グリフとテイラーの一騎打ち(8小節→4小節→2小節→1小節!交換)、テイラーのソロと続き、テーマとアウトロを奏し18分32秒でゴールインする。ケレンや小細工なしの真っ向直球勝負、疑似熱演に陥らず尺の長さを感じさせない快演になった。続く《ホエン・ウィ・ワー・ワン》はチェンジ・オブ・ペース、グリフ作のバラードだ。内省と感傷をないまぜにしんみり綴ったかと思うとパッションを迸らせ、それを踏まえたパーラン、マッズの好ソロが続く。やはり長さを感じさせない胸に迫りくる佳曲佳演だ。

 これも十八番の《ウィー》ではトップ・スピードに乗って3分47秒を一気に吹き抜けて口アングリ、目眩ましさながらだ。メンバー紹介が続きクロージング・テーマと知れる。ラストも十八番の《ザ・マン・アイ・ラヴ》、グリフが曲を告げると初めて歓声が沸く。確かに、同タイトルの人気盤(1967年3月/Ge-Polydor)ばかりは1970年代前半のジャズ喫茶でよくかかっていた。これまたトップ・スピードで無伴奏ソロを含め8分13秒をバリバリ吹き倒し、テイラーのロング・ソロを経てテーマで締め、この日一番の歓声を呼ぶ。好サポートの賜で覇気と抑制がバランスした準快ライヴになった。

 意外にもリーダー作の三分の一に及ぶライブ作の打率は低い。バックと波長が合わず乗れなかったり力んだり、粒揃いが少ないのだ。横綱は『ライヴ~枯葉』(1980年7月・81年5月/Fr-Gitanes)、大関は『ザ・グレート・デーンズ』(1996年7月/De-Stunt)、関脇は推薦盤で決まりだ。[次回7/16(火)更新予定]

【収録曲一覧】
Live In Tokyo / Johnny Griffin (Ge-West Wind [Jp-Philips])

1. All The Things You Are 2. When We Were One 3. Wee 4. The Man I Love

Johnny Griffin (ts), Horace Parlan (p), Mads Vinding (b), Art Taylor (ds).

Recorded at Yubin Chokin Hall, Tokyo, April 23, 1976.

※このコンテンツはjazz streetからの継続になります。

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