成績は学年ビリ、小学4年生レベルの学力から、慶応大学合格という離れ業を成し遂げた女子高生「ビリギャル」。彼女のやる気を掻き立てたのは、ひとりの塾講師と、彼女を支え続けた母親の存在だった。
金髪の巻き髪にミニスカート姿の高校2年生を変えたのは、一人の塾講師との出会いだった。坪田信貴さんの教えに従い、猛然と勉強を始めた学年ビリの「ギャル」は1年半後、夢をかなえる。小林さやかさん(27)のこの物語は、映画「ビリギャル」のモデルになった。
「進学塾の面談を受けてみようと思ったのは、ああちゃん(さやかさんは母親のことをこう呼ぶ)に勧められたから。当時の学力は小学4年生レベルと言われました。だけど、塾の坪田先生はいつも笑っていたんです。テストができなくても、『君の脳はスポンジのようだね。空っぽだからこそ吸収力がハンパないんだ』って言うんです」
ありのままの自分を、こんなふうに褒めた人は今までいなかった。その言葉は、さやかさんに一つの夢を描かせた。
「先生は、『君の周りにはいつもたくさんの友達がいる。君が人を好きな分、みんなも君が好きで、そういう人生をこれからも歩むと思う』って言ってくれました。何よりも心に響いたのは、『だからこそ君はもっと広い世界を知って、いろんな人と出会うべきだ。そのために慶応に行くべきなんだ』という言葉。この一言がすんなり自分のなかに入ってきたんです。私の本質をついていると思ったし、そうでありたいと思いました」
当初、塾に通ったのは週4日間。家での学習も含めると毎日15時間、机に向かった。確実に進歩はあったが、ハードルはあまりに高い。彼女のやる気を後押ししたのは、家族の支えだった。
「高校3年になる前、坪田先生から週6日通えるコースに変えたらどうかって、言われたんです。ただ、それには百数十万円が必要でした。ある日、ああちゃんが塾まで送ってくれて、車のなかで封筒を手渡されたんです。『これを坪田先生に』って。塾に駆け込んで坪田先生に渡したら、先生がもう一度、私に封筒を持たせました。『この重み、わかるよね』って。泣きそうになりました。今やっていることは私一人の問題じゃない。ここでの時間を無駄にしちゃ絶対にダメだって思いました」
母は定期預金や生命保険を解約し、数少ない貴金属類も売って授業料をかき集めた。
※AERA 2015年5月18日号より抜粋