かつて40歳を迎えた人たちは、40代の日々をどう過ごしてきたのだろうか。東京大学理事の江川雅子氏は自身の40代を次のように振り返り、メッセージを送る。
* * *
私が社会に出た1980年は、男女雇用機会均等法の施行前。「女性でも対等に働きたい」と、女性に門戸を開いていた外資系企業の日本支社に入社しましたが、中身はやっぱり日本的。主要な研修への参加も出張も許されません。仕事に真摯に取り組み、「この人には任せても大丈夫」と認められて初めて、男性並みの仕事がもらえる。対等に働く場所は「頑張らないと勝ち取れないもの」でした。
そんな私に、世界的な教育機関からお声がかかったのが40代でした。20代、30代で培った「コアスキル」があったからです。私のコアスキルは、「異文化の人々とコミュニケーションする力」でした。
日本で女性のハンディを感じた私は、自身で奨学金をとって、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に留学しました。MBAが、女性としてのハンディを乗り越える手段になるのでは、と思ったのです。ただ、のちに入社した外資系金融機関のニューヨーク本店でも、たとえばM&Aは「男の仕事」。ただ、顧客の信頼を得ようと努力を重ね、国境をまたぐ案件を多く手掛けることができました。現場の責任者になることもできました。
40代以降、さらなるチャンスをつかむ材料は、自分の核となるスキルです。私は外資系企業で働き、ニューヨークで働いた経験もあったため、別の国籍の方が顧客や同僚になる機会に恵まれました。価値観の違う方々とコミュニケーションするスキルが、自然に身についていたのです。さらに、新しいものを立ち上げるのも好きだったことが、40代での方向転換を支えました。
40代の読者の方へ。私が40歳になったとき、ある方にいただいた言葉をお贈りします。
「これ以降、もう『若すぎる』と言われることはありません」
他国では大統領や首相になる40代もいます。たとえ所属する組織が傾いても、コアスキルがあれば可能性は見えてくる。自分の中にスキルをどんどん蓄積しましょう。
※AERA 2014年11月3日号より抜粋