トランペットやサックスを高校生ぐらいからはじめたという吹き手は少なくない。ブラスバンド部へ入ったのがきっかけになったというミュージシャンは結構いる。その意味では、わりあいに遅くからはじめても、モノになりやすい楽器だとみなしうる。
だが、ピアノになると、そういうわけにはいかない。ピアニストの大半は、幼い頃からピアノに取り組んでいる。4,5歳からレッスンはやっているという人が大半を占めている。
ジャズピアノでは、例外的に、高校生ぐらいからという人もいなくはない。だが、アカデミックなクラシックの世界だと、そういうことはありえないだろう。いや、このごろは、ジャズでも、幼児期からの学習者ばかりになっていると思う。
ピアノは、一度に数多くの音をならすことができる。両手十本の指を使えば、十個の音が重なる和声も、響かせうる。一台で、フルバンド、あるいはオーケストラの代用もつとまる楽器なのだ。
その分、習熟しておかなければならない指の動きも多くなる。小さいころからのトレーニングが、ほかの楽器より意味を持つのはそのためだ。比べれば、単旋律で和声のない管楽器のほうが、技術的には楽だと思う。トランペットが、高校生ぐらいからでも間に合うゆえんであろう。
ヴォーカル、歌になると、そのことはよりはっきりする。とにかく、歌声は誰にでも出せる。だから、トレーニングが物を言う度合いは、それほど高くない。かわりに、才能の有無が、より決定的な意味をもつこととなる。
41歳でピアノをはじめた時には、そのことがわかっていなかった。もう、10年以上続けているのに、相変わらず克服できない技術的な壁がたくさんある。というか、もう壁だらけだと言ってよい。
中年から楽器に取り組むのなら、管楽器にしておけばよかったなと、今頃思い出している。これから楽器を、ともくろんでいる中年読者には、そのことを強調しておきたい。ピアノはきついですよ。管楽器のほうがモノにはしやすいですよ、と。
それに、ジャズの場合、なんといっても花形は管楽器である。トランペットとサックスが、一番脚光を浴びる。その意味でも、ピアノはあまりすすめられない。
私事にこだわるが、私は若い頃、建築家になりたいと思っていた。それでも、設計製図などのトレーニングをはじめたのは、大学へ入ってからである。
私だけには限らない。今、活躍しているプロの建築家たちも、18、9歳から設計製図ははじめている。4、5歳から建築家へむけての訓練を子どもに押しつける家は、まぁないだろう。
画家になるためのトレーニングは、高校生ぐらいからというのが普通であろうか。美大を受ける前に、デッサン教室へ通う受験生は、少なくないと思う。それでも4、5歳からということは、考えにくい。
幼児からはじめなければ、モノにならないピアノは、その点でやはり異様である。そこでは英才教育が当たり前になっている。というか。英才教育をほどこさなければ、音大のピアノ科には入れないのだ。ピアニストの予備軍は、誰もが幼い頃から、1日数時間のレッスンを、毎日続けている。
これほどハードな世界が他にあるだろうか。
4、5歳から、毎日毎日、何時間も運指の練習をする。そんな少年少女が、全国にごまんといる。だが、音大のピアノ科へ入るのは、ごく一握りの人だけ。ステージピアニストとして輝けるのは、またそのうちのひと握りに限られる。そのステージピアニストが出てくる背後には、死々累々たる落伍者の群れがいる……。
プロ野球選手を夢見る野球少年も、数は多かろう。そして、彼らも幼いころから毎日練習はしていると思う。あるいは、サッカー少年も。
しかし、野球やサッカーの球団は、たくさんある。プロ野球なら、一球団にも、80人ほどの選手がいる。1軍のレギュラーも、十数人くらいは勝ち取れる。セ・パ両リーグの球団にも、毎年数十人の選手が加わっているのであろる。
だが、毎年数十人のステージピアニストが出現しているとは、到底思えない。本当に選ばれた人だけの世界なのである。
素人の余興とはいえ、中年からはじめた私が、ピアノのコンサートをやらかすのは、身分不相応と言うしかない。何かはき違えているんじゃないかと、自分でも思う。それでもとめられないところが、虚栄心の怖いところであろうか。