日本交通川鍋秋蔵さん(初代)(写真:日本交通提供)
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川鍋秋蔵さん(初代)
(写真:日本交通提供)
日本交通川鍋一朗さん(3代目)家業の強みは「ミスの許容範囲が広いこと」と一朗さん。リスクをとって試行錯誤できるため、結果として中長期的な成長につながる(撮影/写真部・松永卓也)
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川鍋一朗さん(3代目)

家業の強みは「ミスの許容範囲が広いこと」と一朗さん。リスクをとって試行錯誤できるため、結果として中長期的な成長につながる(撮影/写真部・松永卓也)

 世襲――一般的には良く言われない。しかし、現実には規模の大小を問わず、日本企業の大半は世襲で受け継がれる。創業家だから断行できる改革がある。

 29歳で見た「わが社」の景色は、想像をはるかに超えていた。保有台数4800台を誇るタクシー大手、日本交通(東京都北区)は、タクシードライバーだった祖父の川鍋秋蔵さんが1928年に創業した。それを父達朗さんが継承。3代目の一朗さん(43)も、小さい頃から当然のように「社長になる」と思っていた。が、2000年、実際に入社すると驚いた。社内全体に閉鎖的な空気が漂い、会議の発言もない。何より、バブル崩壊で1900億円もの負債を抱えていた。

 一朗さんは自然に社長になることを意識し、人生設計してきた。慶応義塾大学卒業後は米国のノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院でMBAを取得し、帰国すると外資系の大手コンサルタント会社に入社。リーダーシップと経営理論を身に着け、29歳で父が社長を務める会社に入社した。

「好きなようにやれ」と言う父の言葉通り、すぐにミニバンによる会員制のハイヤー事業を立ち上げた。しかし、うまくいかずに撤退。自信は音を立てて崩れ去ったが、逆に開き直ることもできた。社内の改革に乗り出した。

 不動産を売り、グループ会社を譲った。2千坪あったわが家も、今はない。徐々に効果が見え始めた05年、35歳で社長に就任した。次の日、病気だった父は亡くなった。先代も初代もいない中での再建だったが、一朗さんは、

「返済の過程で、祖父と父が残した『徳』を感じた」

 再建の途中、「ここぞ」というときに手を差し伸べ、汗をかく協力者が現れたからだ。再建を共にした弁護士も、こんなことを話していたという。

「再建できる会社は、二死満塁で起死回生のヒットが出る。日本交通もそうだ。先代たちが、過去に『徳』を残してくれたからだろう」

 とはいえ、2千億円近い負債にあえぐ企業の危機は、先代の「徳」で乗り越えられるほど甘くはないだろう。何が彼をそこまで本気にさせたのか。

「敵がいたから戦っただけ。私にとっては本能的な行為です」

AERA 2014年6月2日号より抜粋