ITバブル前夜、夜の六本木には企業経営者や芸能関係者らが集まっていた(写真はイメージ) (撮影/写真部・外山俊樹)
ITバブル前夜、夜の六本木には企業経営者や芸能関係者らが集まっていた(写真はイメージ) (撮影/写真部・外山俊樹)
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石井光太(いしい・こうた)東京・世田谷出身のノンフィクション作家。著書に『物乞う仏陀』(文藝春秋)、『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)など多数(撮影/写真部・工藤隆太郎)
石井光太(いしい・こうた)
東京・世田谷出身のノンフィクション作家。著書に『物乞う仏陀』(文藝春秋)、『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)など多数(撮影/写真部・工藤隆太郎)
工藤明男(くどう・あきお)東京・杉並出身の関東連合元リーダー。著書に『いびつな絆 関東連合の真実』(宝島社)。ブログ http://ameblo.jp/kudouakio/(撮影/写真部・工藤隆太郎)
工藤明男(くどう・あきお)
東京・杉並出身の関東連合元リーダー。著書に『いびつな絆 関東連合の真実』(宝島社)。ブログ http://ameblo.jp/kudouakio/(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 東京・六本木のクラブで起きた“人違い”集団暴行殺人事件をきっかけに、改めて注目を浴びることとなった「関東連合」。残虐性が高いというこの集団について、ノンフィクション作家・石井光太氏と『いびつな絆 関東連合の真実』著者の元リーダー・工藤明男氏が語り合った。

* * *
石井:関東連合といえば、2010年に起きた元横綱・朝青龍の暴行事件や、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの傷害事件の当事者として、残虐なアウトロー集団というイメージが強い。一方で、暴力団でも暴走族でもない「半グレ」と呼ばれています。どんな組織なんですか。

工藤:もともとは、中学生時代から始まった暴走族です。

石井:中学時代は、90年代前半の、バブルの景気がまだ生きていたころです。僕らの世代では、ちょうど渋谷で「チーマー」が生まれて、不良はほぼそちらへ流れていた。「暴走族」は絶滅寸前だった。

工藤:確かに少数派でしたね。ただ、単純に地元の先輩との関係ですよ。僕の場合は、小学6年くらいからゲームセンターに出入りしていて、暴走族の先輩と付き合ってました。世間的に少数でも、自分のいる世界ではそれがすべてですから。

石井:杉並も世田谷も教育熱心で裕福な家庭が多い、いわゆる不良予備軍の少ない地域です。一般的に暴走族とか不良になるヤツって、オヤジがヤクザだったり、家庭環境が複雑だったりしますけど、工藤さんたちはどうだったんですか?

工藤:僕自身は杉並出身で、両親は離婚してはいますが、家庭が崩壊しているとか、食事に困るような環境ではありませんでした。他のメンバーも社長の息子もいたし、勉強ができなかったわけでもない。ただ、あの地域で本当に毛並みがいい子どもは幼稚園、小学校から私立学校に行ってましたからね。そこからちょっとランクが落ちる、家が自営業だったり、家柄はよくないけど親がおカネを持っていて放任してる、みたいな家の子が集まっていました。で、親からもらったお小遣いで友達を引き連れてゲームセンターに行って、そこで隣の地域から来る悪い子と仲良くなるみたいな。

石井:僕のまわりでも、中学時代にグレてた女の子がいるんですけど、いま考えると母子家庭ではあったけど、お母さんの職業は看護師でちゃんとした家庭だった。でも、あの地域ではスクールカーストの「下」だった。

工藤:あと、中学受験をするかどうかも大きいですね。受験する子は塾とか勉強があって、放課後に遊べませんでしたから。

石井:社会からはじき出される要因が「お受験をしない、できない」というのは地域柄ですね。でも、当時はそれがものすごく大きかった。単なる暴走族だった不良少年たちが、抗争に明け暮れるようになったのはなぜですか。

工藤:チームとしての名を上げなきゃという気持ちが強かったからです。先輩たちの武勇伝を聞いて、自分たちもそうならねばと。とはいえ、関東連合は人数が少ない。それでナイフや包丁、バットなど武器を使って、恐怖で相手を圧倒する。そんなことをやっているうちに、残虐性が増していったのです。

AERA  2013年8月5日号