撮影/今村拓馬
撮影/今村拓馬
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 タレントの上地雄輔さん(34)がブログで、「携帯なし生活に入ります」と宣言したのは5月のこと。仕事の都合で海外にいた1週間限定の「携帯なし生活」だったが、ブログの内容がその日のうちにネットニュースになり、書きこまれたコメントは3700件を超えた。「脱携帯生活」で、現代人が失ってしまった五感を取り戻せるのか。ということで、携帯歴11年の記者もやってみた。

 なるべく仕事に支障が出ないよう週末からのスタート。フェイスブックで「脱携帯予告」をして、金曜の深夜0時に私用ガラケーと社用スマホを2台同時に電源オフにした。ついでに、iPodの音楽も禁止。携帯依存度は低いと自負していたのに、消えていく画面を見ながら、異常な不安に襲われて脂汗が出る。

 仕事上のトラブルや、急に調整しなければいけない事態が起きていないか、遠方の家族や友人に何かあったり、脱携帯予告が届いていない知人が何か重要な連絡をくれたりしていないか──最悪のケースで頭がいっぱいになる。

 脱携帯生活のルールはこうだ。

(1)携帯は自宅外に持ち出さない(2)家では電源をオンにして通話以外の機能は使わない(固定電話の扱い)(3)パソコンメールはOK。でも最低限にする。

 ただそれだけのことなのに、手持ちぶさたで落ち着かなくなる。家にいる間は、いつもの惨状からは信じられないほど掃除や洗濯に熱中し、世の中から取り残されるのではないかという恐怖感から本や新聞を読みふける。ときどき携帯が鳴ったような幻聴が聞こえ、外出前に無意識にカバンの中に入れていたこともあった。外に出れば、信号待ちや電車を待つ数分さえヒマに感じ、携帯に侵食されている自分に気づく。

 仕事は予想外に固定電話とメールで事足りることがわかったが、5日目には社用携帯は必要に応じてオン、私用携帯は通話だけOKなど、ルールは“なし崩し”になりながらも、何とか1週間を乗り切った。

 禁断症状は2、3日で治まってくるのだが、最後までヒヤヒヤしたのは待ち合わせだった。約束の時間と場所にいなければ、すれ違ってしまうし、周囲に公衆電話がなければ会えない可能性もある。

 生粋の方向音痴である記者には、GPSで現在地を示してくれる地図が使えないのも致命的だった。駅から徒歩5分の取材先に行くために、駅員に聞き、地図をもらい確信を持って進んだにもかかわらず、反対方向だと気付いたのは10分以上歩いてから。引き返せば遅刻する。連絡を入れたくても公衆電話が見当たらない。わずかな距離だがタクシーのお世話になった。

 大規模な通信障害や災害などで携帯が使えなくなった場合を考えると、スマホ世代の方向音痴は極度にサバイバル力が低いと痛感する。

 その半面、携帯を持たずに外出すると小さないいことがあった。よく通る道にお地蔵さんや知らない小道があることに気付くし、待ち合わせには早めに着く。約束の時間まで木陰のベンチに座り、今日、明日の予定を整理し、やるべきことを考える時間も貴重だった。いつも遅刻する人にも待たされなくなり、会えた瞬間や誰かと話している時間には幸せさえ感じてしまう。それが、以前の日常だったのだろう。

AERA  2013年7月22日号