筒井:ああ、怒りっぽくはなりますね。僕もちょっと怒りっぽくなってるなということは自分でもわかる。それはカミさんからも言われる。阿川佐和子さんのお父さん(作家阿川弘之・故人)みたいに、しょっちゅう怒ってるってことはないけど。

林:最近、新聞を広げると、「ボケたらこうなる」とか「老人ホームはこんなに悲惨だ」とかいう雑誌とか週刊誌の広告が載ってて、寝たきりになるかボケるかの選択肢を差し出されてるような気がするんです。ああいうのを読んだら、だんだん暗くなっちゃいますよね。

筒井:脅かしてるというかね。脅かしても仕方ないんですよ。ボケちゃったら何が書いてあるかわかんないもんね。だからあれは無意味だと思いますね。気楽に死ねる方法はいくらでもあるし。

林:でも先生、死ぬのもけっこう難しいってこの本に書いてありましたよ。尊厳死についてもけっこう踏み込んで書いてらっしゃいますね。いま議論が盛んですけど。

筒井:真理子さんはどう思いますか、尊厳死っていうのを。

林:うちの母が亡くなったのは101歳でしたけど、管をつながれて意識がなかったんです。そこまでになると、こんなふうに生かされるのもどうかと思いました。99歳ぐらいまでは非常にしっかりしてて本も読んでましたが、最後の2年間はダメでしたね。

筒井:99歳までは元気でも、100歳になってわけわからなくなったら、そこから先は命を投げ出したらどうですか。「どうにでもしてくれ」って。少なくとも死の恐怖とか苦痛からは逃れられるわけで。

林:でも、安楽死も難しそうだし。

筒井:意識がはっきりしてるときに安楽死をしようと思っても、それはなかなかさせてもらえませんけどね。死の恐怖や苦痛から逃れようとすれば、ボケなきゃ仕方がない。だからボケるというのはいいんですよ。わけわかんないんだから、長生きすればするほど死ぬときはラクになる。老衰で死ねばいいんだから。あなたのお母さんみたいに。

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