

ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は老いてから実感した「ほんまのこと」について。
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むかし、高校教師をしていたころ、学校健診に来た眼科医が生徒に「視力がよいのと眼がよいのは必ずしもいっしょやない。視力がわるいのは近くのものがよう見えるということや」といったことが妙に記憶に残っている。眼科医は度の強そうな近視の眼鏡をかけていたから、わたしは「えらい強がりいうてるな」と思ったが、いまこの齢になってみて、あの医者の発言は正しかったんかもしれんと思い出したりする。
わたしの視力は大学のころまで左右1.2だったが、徹夜麻雀のしすぎがたたったのだろう、卒業して就職したころには左右とも0.7ほどに落ちていた。とりあえず日々の生活には支障がないからそのままにしていたが、四十代の半ばごろから近視がすすみ、テニスのボールがちゃんと見えなくなった。またそのころ運転免許の更新で視力検査にひっかかり、しかたなしに眼鏡をかけるようになったが、それまでずっと裸眼で暮らしていたからだろう、行く先々で眼鏡を忘れてしまう。五十代の半ばまでの十年間で十本以上の眼鏡を失くしてしまった。同じころ、テニスラケットのガットが縦も横も歪(ゆが)んで見えるようになり、あまりに乱視がひどいと、近所の眼科クリニックに行ったら、左眼の“黄斑上膜”(網膜の中で物体を特に鮮明にはっきりと感じる部分を黄斑といい、この上にセロファン状の膜ができることをいう)と診断された。医者は、もう少しようすを見ますかといったが、ようすを見たところで膜が消えるわけではない。わたしは即、手術をすると決め、知人の眼科医に紹介状を書いてもらって某大学病院へ行った。
手術は、おもしろかったといえば語弊があるが、未知の体験だった。眼球だけの局所麻酔だから、真っ赤な視界の中に黒いシルエットのピンセットが入ってきて、茹で卵の薄皮のようなものをつまんで除去した光景がくっきり見えた。ついでに白内障の眼内レンズも入れてもらった──。