ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「氷川きよし」を取り上げる。
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「やっぱり生(なま)に限る」。ビール、魚、チョコレート、レバー、脚……。日本人はとにかく「生」が大好きです。夏には「生(なま)最高!」などと、聞き様によっては有らぬ誤解を招きかねない台詞を叫ぶOLが多発したりします。私も「生」は嫌いではありません。しかし、育った時代や環境も影響しているのか、加工品や人工的なものへの愛着も相当です。そもそも自分自身がこんなですし。
「生に限る」志向が根付けば根付くほど、「なんだ、生じゃないのか」という不満や落胆も生まれます。とかく音楽や歌に関して昨今は「非・生(なま)」に対する世間の目がずいぶんと厳しい様子。そしてそれに呼応するかのように、テレビなどでも過剰な「生アピール」が著しい。今や口パクは、ともすれば犯罪扱いされるぐらいの勢いです。よくテレビで「CMの後、○○さんには生歌を披露して頂きます!」と司会者が言っているのを見かけますが、どうにも違和感を覚えます。生放送の時点で、わざわざ「生歌」と煽る必要もないわけで、どこか恩着せがましさを感じてしまうのです。
個人的に、「生歌」「生演奏」にこだわることはエンタテイメントにとって絶対条件ではないと思っています。現に「生歌でなければもっと良かったのに」と感じるコンサートもあったりするものの、今は兼ね合いや総合性よりも「ガチか否か」の方が求められる。もちろん感動する「生」は凄いです。だけどそれとは別の高揚感も同じくらいありますし、「生」というだけで感動に直結させてしまうのもいささかどうかと思います。事実、巧妙な口パクに騙されて「さすが!」とか「生でこのクオリティは神!」とか手放しで賞賛する光景を目にすることもしばしば。要は、大事なのは「気分」なのでしょう。