TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は数々の名曲を生んだ「音響ハウス」について。
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「(ライブハウス新宿ACB[アシベ]は)明治通りと甲州街道が交わるところにありました。(上京してすぐ、世田谷区)烏山時代、ブルコメがダブルブッキングでNGになってね。ワイルドワンズと一緒に出ることに。沢田は楽器持っていないんだから喋れって。本場の、東京の、ACBです。どこの誰かもわからない、そんな僕がステージに立ったんです」
これはジュリー(沢田研二)のトークである。ちなみにブルコメとはブルー・コメッツのこと。
生まれて初めてザ・タイガースのステージを観た(「森本タローとスーパースター再結成20周年記念ライブ ~A Lot of Good Friends~」ゲスト出演 11月6日、EX THEATER ROPPONGI)。
小学生時代の女子はほぼ全員がファンだった。原田芳雄さんの映画『大鹿村騒動記』で仕事をして以来親しくして貰っている岸部一徳さんに声をかけて頂いた。
ザ・タイガースは1966年11月22日テレビに初出演、『ザ・ヒットパレード』でポール・リヴィアとレイダースの“KICKS”を演奏した。演奏時間はたった45秒。インパクトが大事と、内田裕也のアイディアだった。『僕のマリー』でデビュー、『シーサイド・バウンド』『モナリザの微笑』『君だけに愛を』と続けざまに大ヒット。中世ヨーロッパの王子をイメージした衣装はキャンティの川添梶子のデザインだった。『銀河のロマンス/花の首飾り』が7週連続1位、『シー・シー・シー』6週1位。68年8月12日に後楽園球場で日本初のスタジアムライブを敢行。そんな怒涛のGS時代を振り返り、「ボーカルの沢田(研二)はひとりで日本中を相手にしていた」と一徳さんが振り返ったのを思い出した。