今年4月の東京大学入学式で述べた祝辞が大きな話題を呼んだ上野千鶴子名誉教授。入試での女子差別問題などを訴えた上で、「純粋な知識欲」の在り方を語りかけた。そんな上野イズムの原点ともいえる53年前の寄稿を発見。教育ジャーナリスト・小林哲夫氏が、ご本人に改めて伺った。
「へ~、高校生のガキの文章にしては、けっこう、まともなこと書いているじゃん」
53年ぶりに高校新聞に書いた自分の文章を読み直して、上野千鶴子さんは開口一番、こうつぶやいた。
1964(昭和39)年、上野さんは石川県立金沢二水高校に入学した。最初は名門バドミントン部に入部したが、ランニングと素振りばかりに耐えきれず、1カ月で辞めてしまう。その後、文芸部と新聞部に入った。文芸部の部員たちは熱心に太宰治を読んでいたが、上野さんはセンチメンタルだと思って嫌気がさす。文芸部からも足が遠のき、新聞部で好きなことを書くようになった。ベトナム戦争、広島と平和、制服制帽の是非など、多くの記事を書いた。そして、高校教育の在り方を批判し、17歳の上野さんはこう訴える。
「現実の高校の授業は非常につまらない。私をも含めて、大多数の高校生は、授業中の自己を、少なくとも本来的な在り方であると考えていない」(二水新聞)。上野さんは当時を次のようにふり返る。
「とにかく授業は退屈で、教師を信用していませんでした。授業中は寝てばっかりです。高校生だったわたしは知的には早熟で、性的にはオクテだった。とても頭でっかちの少女でした。授業では知的好奇心が満たされず、本や雑誌ばかり読んでいました」
とくに熱心に読んでいたのが、「思想の科学」(思想の科学社)である。同誌の書き手には、さまざまな学問分野のリベラル系知識人が集まっていた。加藤周一、鶴見俊輔、花田清輝、丸山眞男、都留重人、佐藤忠男などだ。上野さんは鶴見に私淑していた。加藤が大好きだった。そして、花田に魅了された。