作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。最近、彼女は北朝鮮を訪れたという。
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この夏、朝鮮民主主義人民共和国を旅した。ジャーナリストの坂本洋子さんらが率いる「日朝友好女性訪朝団」に参加したのだ。1999年に故清水澄子議員が提唱した、両国の女性どうしの交流を深める試みだ。
それにしても訪朝したと告げると「洗脳されてない?」とニヤニヤされることが多い。「それは、訪朝者あるある体験の一つ」と何度か訪朝している女性が言っていたが、北朝鮮のイメージってそれほどに「ない」のだろう。ホテルで出されたキウイのスムージーが美味しかった、女性たちの日傘の刺繍が美しかった、人々は穏やかで、平壌の街は建設ラッシュで経済制裁の影響を感じない。そんなことを言う度に「洗脳された?」と笑われている。
たった7日間の滞在で、外務省の外郭団体が提案する視察先を巡る日々だった。しかも私が会ったのは体制を支えるエリートだ。それでもこの国に生まれ育った人との会話は刺激的だった。その中の一人、訪朝団のコーディネートをした40代男性のことを記したい。
何故日本語を習ったの? 食事中、そんな話になった。子どもの頃はカメラマンになりたかったと彼は言った。小学校の記念日などで身動き一つ許されない厳しい整列の中、自由に動き回るカメラマンは憧れの的だったのだ。それでも優秀な彼は11歳で外国語専門校に入る。入学日に、自動的に日本語クラスに振り分けられ、同級生には「日本語なんて使う日は来ない」とバカにされたが、帰宅後母親に「日本語になった」と伝えると、母親はこう言ったという。
「隣国の言葉で良かったですね。きっといつか、役に立つから頑張りなさい」
90年代後半、日朝国交回復が現実味を帯びたとき、「ようやく日本語を使える!」と胸が高鳴った。だがそれも一瞬のことだった。今、同級生で日本語の仕事に就いている者はいない。