昨年、母で俳優の樹木希林さん、今年3月には父でロック歌手の内田裕也さんを相次いで亡くした、内田也哉子さん。母の命日を前に、一緒に過ごした最期の日々や幼少期からの思い出など、作家の林真理子さんがたっぷりとうかがいました。
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内田:母は、核家族じゃなく、多様な世代と暮らすほうが家族にとっていいと言って、それで一緒に住んだんですけど、常々「自分が死んでいく姿を見せたい」と話していたんです。そんなこと言われても……という感じじゃないですか。だけど、いざその場になってみたら、ああ、母はこういうことを伝えるためにこだわっていたんだと思って腑に落ちたんです。悲しいはずなんだけど、蝋燭の芯が燃え尽きて最後フッと火が消えるというか、「十分に生きたね」という空気をみんなで共有できました。母らしく潔くサッと去っていった、という感じでしたね。
林:2カ月前まで精力的に映画にお出になって、ご自宅で子どもやお孫さんに囲まれて亡くなるって、もう見事としか言いようがないですよ。
内田:去年の今ごろ(8月末)は入院中で、入院中に3回ぐらい危篤状態になったんですけど、最後のほうで母が「もうそろそろ帰ろうと思う」と言いだしたんです。主治医の先生が「もう少しあとだったら帰せませんが、自宅に急いで介護設備を整えれば帰せます。今が最後のチャンスです。そのことをよく本人がわかりましたね」とおっしゃったので、その2日後に介護タクシーで家にそーっと運んだんです。
林:はい。
内田:私もヘトヘトに疲れてたから、「今日はようやくゆっくり寝られるわ。じゃお休み」と言って上の階に寝に行こうとしたら、「ちょっと待って」って私を呼びとめて。それで、すごくか細い声で「ありがとう」って、握手しながら3回続けて言ったんです。日ごろからベタベタしない母ですし、「やめてよ、気持ち悪い(笑)。これからでしょ?」と言って、振り払うようにして上に行ったら、夜中の1時ぐらいに看護師さんにみんな起こされて、「様子がおかしいからすぐ下りてきてください」って。
林:ええ……。