帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
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加島祥造さん (c)朝日新聞社
加島祥造さん (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「異性との付き合い」。

【写真】帯津さんが異性との付き合いが達人と感じる加島祥造さん

*  *  *

【ポイント】
(1)ときめき、そいつはなんといっても女だよ!
(2)加島祥造さんの見事な女性との付き合い方
(3)私はハグをして別れるというのが大好き

 心のときめきを失わないことが攻めの養生にとって重要だということは、これまでにも書いてきました。その心のときめきで思い出すのが、今は亡き伊那谷の老子、加島祥造さんです。

 英文学者だった加島さんは晩年、長野県の伊那谷に住み、老子に関する著作をする一方で、ご本人も隠遁者のような生活をされていました。その加島さんは、私が心のときめきの話をすると、「ときめき、そいつはなんといっても女だよ!」と言い切るのです。

 そう言い切る加島さんは確かに女性にもてるのです。伊那谷でも必ずかたわらには女性が寄り添っていました。うらやましい限りです。

 92歳で亡くなる少し前のことです。入院されたのでお見舞いに行きました。固形物がのどを通らないようでしたので、ロイヤルゼリーを持っていきました。

 管につながり、寝たきりの状態でしたが、話はできました。ロイヤルゼリーを渡すとニッコリして、「これを食べるとまたできるかな」と言うのです。さすが加島さんです。かたわらには、いつものように若い女性が寄り添っています。

 本当に感服したのは、その後です。加島さんがロイヤルゼリーをすぐに食べると言いだし、恋人らしきかたわらの女性がスプーンで食べさせたのですが、うまく食べられずにこぼれて口のまわりがベタベタになりました。

 そうしたら、その女性は、その口のまわりを舐めだしたのです。感動しましたね。彼女の愛情の深さを感じました。そういう女性に寄り添われる加島さんが本当にうらやましくなりました。

 90歳を過ぎても女性にもてた加島さんは、ご本人も最後まで恋心を失わない人でした。老いとは関係なく、みずみずしい恋心を持ち続けたからこそ、連れ添う女性と深い愛情で結ばれていたのだと思います。

 加島さんの異性との付き合いは達人の域ですが、そこまでいかなくても、ナイス・エイジングにとって異性との付き合いは重要だと思うのです。

 インドの偉人、ガンジーは禁欲主義だったにもかかわらず、晩年、若い女性と同衾(どうきん)していたというのは有名ですが、臨済宗の中興の祖といわれる白隠禅師にも似たようなエピソードがあります。

『白隠禅師─健康法と逸話』(直木公彦著、日本教文社)に書かれているのですが、白隠禅師が82歳で亡くなる1カ月前のことです。近村の諸寺に数日間にわたり説法に出かけられ、大変お疲れの様子。同行の僧が、どうかお休みくださいと頼んでも、まだまだ、と受け入れない。

 そこでその僧は一計を案じ、一人の女人を呼び、こちらと同衾してお休みくださいと進言しました。禅師は快諾し、彼女に抱かれて、大いびきをかいて休み、その後の説法をつとめたというのです。

 私は同衾とはいかないのですが、たわいのない話をしながら酒を酌み交わし、ほろ酔い加減でハグをして別れるというのが大好きです。ただ抱き合うだけでもいいですが、頬と頬が触れれば、また格別です。

週刊朝日  2019年9月13日号

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帯津良一

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帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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