TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回はエルトン・ジョンについて。
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エルトン・ジョンの楽曲は、どこか東洋的だ。カウンターカルチャーとしての単純なロックではなく、深く内省を促すものだ。世界有数の音楽学校RAM(王立音楽院)出身ということもあるのだろう。文学的なのだ。
彼がデビューした69年。僕はまだ小学生だったが、少しずつシングルではなくアルバムをコレクションしていった。エルトンは僕の思春期の鏡となった。イギリスからの輸入盤を買った。輸入盤のレコードジャケットの匂いを嗅ぐためだ。封を開け、彼の育ったイギリスの仄(ほの)暗さをすっと胸に入れる。針を落とし、心から楽しむことのない日々が描かれたバーニー・トーピンの歌詞を読む。一筋縄ではいかない微妙なコードに心を惹かれた。そのメロディを聴くことは、エルトンの苦悩を薄く美しいレースの膜で透かせて見るという具合だった。
この初稿は夏のスペイン・サンセバスチャンで書いた。魚介のピンチョスを物色しながらバルを梯子するのだが、その一軒で、エルトン・ジョンの『ロケット・マン』が流れていた。
これといった景勝地がなく、美食だけの、ある意味虚ろな観光地と、見果てぬ夢を追い求めるエルトンのざらついた声色が似合っていた。
映画『ロケットマン』はエルトンの人生の物語である。煌(きら)びやかな才能とは真逆に道化と呼ばれた時期もあった。奇抜な衣装は彼の本質を隠していた。その本質は「孤独」。出会いと別れを繰り返すゲイであり、ドラッグと酒に溺れ、茨(いばら)の道を歩いた人物だ。そんなストーリー全編にエルトンの楽曲が流れ、見事な陰影を与えている。
帰国して、デクスター・フレッチャー監督に会う機会を得た。優雅な白髪に薄青のシャツ、コットンの黒いスーツに足元はオニツカのスニーカーだった。