初期のオリジナル・アルバム5枚組でこの値段
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バカラックの全貌を知るにはうってつけ。曲名とアーティストだけでも見てください
バカラックの全貌を知るにはうってつけ。曲名とアーティストだけでも見てください

 みなさんは、なにかを調べたいと思ったら、どうするだろうか?

 インターネットで調べる人が、一番多いだろう。ま、パソコンか、タブレットか、スマホかの違いはあるだろうが、どれも、インターネットである。

 音楽にかんしてだけでも、いまでは、ユーチューブを使って最新のアーティストの映像と音楽を見ることができる。いや、過去の見たかった映像や音楽を見ることもできる。たとえば、1970年の大阪万博でのメリー・ホプキンの歌を聴くことくらいは、簡単にできる。メリー・ホプキンは、1968年にポール・マッカートニーのプロデュース《悲しき天使》でデビューした歌手。美しい声なので、一度、聴いてみてほしい。

 そんな時代に、毎回、過去の話ばかりして申し訳ないのだが、われわれが音楽を聴き始めた頃は、そんなものはなかったのだよ、若者よ!

 どんな流れで、わたしが音楽に興味を持つようになったのか、はっきり思い出せないのだが、映画と音楽がほとんど同時に、わたしの中にやってきたように思う。

 たとえば、《雨にぬれても》と『明日に向かって撃て』のような具合だ。

 1969年のアメリカ映画で、実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの物語だ。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演し、ブッチの恋人役のキャサリン・ロスが出演していた。そして、ブッチがまだ寝ているときに、自転車で二人乗りをして、今の言葉でいえば、ポタリング(自転車で目的場所もなくぶらぶらすること)したりするときにバックに流れるのが、この《雨にぬれても》だ。つまり、映画のサントラ盤ですな。

 この音楽を聴いたのは、わたしが、中学のとき。自分独りで映画を見に行き、人生ではじめてのデートをし、生まれてはじめてレコードを買った。そんな時代だ。

 すぐに、同じ趣味の友だちができ、情報交換をはじめるが、なにしろ、世の中に情報が少ないのだ。それも、ほしい情報がどこにあるのかさえ、わからなかった。自分のラジオさえ、持っていなかった。

 最初のわたしの音楽情報元は、レコード店であり、「レコード・マンスリー」という販促誌のようなものだった。なにしろ、レコード店にいくと、定価100円と書いてあるが、ただでくれたのだ(50円から150円まであるようだ)。この「レコード・マンスリー」には、出会ってから高校を卒業するまでの数年間お世話になった。あ、ちなみに、この時代に音楽を聴くためには、まだCDはなく、レコードとよばれるあの針をのせて、くるくるまわるプラスチック状の丸い板のようなものが中心だ。先日、家に遊びに来た若者にレコードをかけて聴かせたら、レコードを聴くのは、生まれて初めてだ、と言っていた。そういうものなのか、驚きだ!

 この冊子、その月の発売レコードの一覧が掲載されている。それだけではなく、レコード評や紹介記事などが掲載されていて、読んでも楽しかったように覚えている。いまにして思えば、業界誌のようでもあり、販促誌でもあったのだろう。

 ジャンルも、クラシック、洋楽、歌謡曲、ドキュメンタリーなど、音楽全般を扱っていた。

 もうひとつ、表紙が、LPレコードのジャケットがそのまま載っていた。CDより、ひと回りくらい小さいだろうか。しかし、本物のレコードをたくさん買えない少年には、それだけでも手に入るのがうれしかった。『レッド・ツェッペリンIII』が表紙だった号を手に入れてしまったから、そのレコードが欲しくなって、現物のレコードを買ってしまったともいえるかもしれない。冊子は、横長で横開きだった。

 また、この冊子には、各ジャンルごとに、売上のトップ10のようなコーナーがあった。たぶん、歌謡曲や洋楽はシングル、LPなどにわかれていたように思う。そのなかで、印象的だったのは、クラシックは、毎月、いつも、一位はイ・ムジチの『四季』フェリックス・アーヨがソロを取っている盤だ。洋楽は、サイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋』。こんな順位が、何ヶ月も続いていたような記憶がある。まだ、ビートルズの『レット・イット・ビー』がリストに残っていた。新しく、『レッド・ツェッペリンIII』やピンク・フロイドの『原子心母』などが、1位などにはならないが、そのランクに入ってきたのをドキドキしながら見ていた。

 さて、話は戻って、《雨にぬれても》だ。このシングル・レコードは、女の子から借りた。洋画と洋楽が中心だったが、映画や音楽が好きというだけで、男とも女の子とも友だちになれた。ま、その人がどんなレコードを持っているのかが、一番の興味でもあるのだが。

 わたしも、そのレコードを手に入れたいと思ったのだが、誰かが、持っているものは、買わない、というのがわたしの主義だった。つまり、世の中には、もっと素晴らしい音楽があるに違いないと思っていたからだ。だから、お金を使うなら、まだ、聞いたことのない音を聞くために使いたい。

 元の映画、『明日に向かって撃て』は、まだ観ていない。ロードショーは高くて行けないからだ。

 それから、映画で使われた音楽を、サントラ盤というのだと、友人が教えてくれた。サントラとは、サウンド・トラックの略で、映画で使われた音楽やせりふをそのままレコードにしたものと、音楽だけをレコードにしたものとがあるのだ、と言っていた。しかし、このとき、わたしはまだ、サントラを知らなかった。

 このとき、わたしが知り得た情報は、歌っているのはB.J.トーマスという人だということと、作曲をしたのはバート・バカラックという人だということだ。B.J.トーマスの他のレコードは、あまり話題になっていなかったが、バート・バカラックという名は、至る所に出てきた。

 ちょうど、そのころ、カトリーヌ・ドヌーヴが主演した『幸せはパリで』という映画も話題になっていた。今でも活躍しているカトリーヌ・ドヌーヴ、そのころは、若くてとても美しかったのですよ。オードリー・ヘプバーンとドヌーブとどっちが好きなんだ、小熊は? と友だちに詰め寄られ、決められずに困ったことがあった。そんな、少年でした。

 そして、この映画の音楽も、バート・バカラック作曲のものだった。演奏は、パーシー・フェイス・オーケストラ。美しい音楽で、これもヒットしていた。このとき、中3のわたしは、《雨にぬれても》《幸せはパリで》が入っていて、かつ、バート・バカラックの曲がたくさん聴けるレコードということで、『バート・バカラックのすべて/パーシー・フェイス・オーケストラ(コーラス)』というレコードを購入した。

 しかし、そこに入っていた《雨にぬれても》は、B.J.トーマスの歌うそれとは、まったく違うものだった。しかし、がっかりするわけにはいかない。お小遣いを貯めて、やっと買ったレコードは、好きにならずにはいられないのだ。

 しかも、中身は、名曲揃い。先の2曲の他にも、《サン・ホセへの道》《ジス・ガイ》《アルフィー》などが入っていた。しかも、ジャケットには、歌詞が印刷してあった。

 当時のわたしの家は、大正時代に建てられたという古い家で、いわゆる、ふすまと障子の家だったから、深夜に大きな音でレコードを聴くことはできない。そこで、無理をいって買ってもらったステレオにヘッドフォンをつないで聴くわけだが、つい、うれしくなって、そのジャケットの歌詞を見ながら《サン・ホセへの道》などを、大声で歌ってしまうことがあった。

 ふと、気づくと、母が、寝ぼけた顔で、わたしのまえに現れた。驚いたのなんの。そして、母は、こういった。「もう、夜中だから、大声で歌うのは、止めなさい」ごもっともである。

 東京に出てきて、音楽に関する本なども読むようになり、バート・バカラックの曲を最初に歌ってヒットさせた人がいるのだと知る。《遙かなる影》をカーペンターズが歌ったように、《小さな願い》や《サン・ホセへの道》が、ディオンヌ・ワーウィックによって歌われていたのだと知る。

 今にして思えば、常識のようなこんなことが、あの時代には、知るまでに大変な道のりだったのだ。この文章を書くために、インターネットを使って情報を確認している。曲名、発表された年、記憶との確認。インターネットがなかった時代、これらを知り、確認するためには、莫大な本、雑誌、レコード、図書館、友人、時には出版社やレコード会社に問い合わせて調べなければならなかった。

 ディオンヌ・ワーウィックのバカラックを聴くと、情報に飢えながら、あのパーシー・フェイスのレコードを持って、深夜に歌っていた自分を思い出してしまうのです。

 2012年に亡くなったホイットニー・ヒューストンの従姉妹でもあったという。オリジナルのバカラックを、聴きに行きたい。[次回5/15(水)更新予定]

■公演情報は、こちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/dionne-warwick/