――光一さんはやはり「show must go on」ですか。
光一:そうですね。ジャニーさんは舞台を愛した人だったので、まあ、すごくよく喧嘩もしましたけど、演出をめぐっては。喧嘩というと自分自身が偉そうになってしまいますが、そういうわけではなく、常にジャニーさんのことは絶対に超えられないと思ってます。これから先も超えることはできないと思います。でも、今思えば、これから出てくる若い人たちはジャニーさんの演出を受けることができないので、それを考えるとジャニーさんの演出を受けられたことは本当に幸せなことだったなと思いますし、それを自分の宝物として、後輩とかに、まあ、継承というと大き過ぎるのかもしれませんが、教えられることがあれば、自分としてもそういう力添えができればいいなと思います。
――大きな役目ができましたね。
光一:それはもう、今いるジャニーズのタレントが全員が思っていることだと思います。みんなで、ファンの皆さんとジャニーズの素晴らしさというものを共有できればいいなと思います。
――音楽史に残る宝といいますと、「硝子の少年」がありますが。
光一:ジャニーさんのニューヨークの家で、その曲を初めて聴きかせてもらいました。「ユーたちこの曲どう思う?」と言われて。そのデモも山下達郎さんが歌っていらした声だったので、「これ達郎さんだよね、いい曲だね、さすが達郎さんだよね~」と言っていたのが僕たちのデビュー曲だったということを後々に知りました。
――素晴らしいヒットだったのですが、そのことに関してはいかがですか。
光一:デビューするとか、CDを出すとか、出さないとかあまり関係なく、そこに固執することなく、幅広く活動していくことを考えていたし、僕らとしても、ああ、CD出すんだ!という感覚でしたね。僕らはCD出すまでが長かったというのもありますし、そういう感覚でした。
(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日オンライン限定記事