作家瀬戸内寂聴さんと美術家横尾忠則さんの往復書簡がスタートした。半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友が、とっておきのナイショ話を披露しあう。
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■二人とも本質的にいいかげんなところあり
瀬戸内様
難聴が日々悪い方に進化しています。耳は瀬戸内さんより老齢です。すでに百歳に達しています。補聴器の限界を超えて、70万円もする高価な補聴器も引き出しの中で埃(ほこり)をかぶっています。2年ほど前は瀬戸内さんと同程度の症状だったので、電話でもまだトンチンカンなりにも通じ合っていました。とはいうものの音声は機械化されて聴こえるものの話の内容はねじれ現象を起こしていてサイボーグです。あの頃は瀬戸内さんの耳の方が僕より悪かった。
僕が草津温泉に行ってきたと言ったら、「よく拉致されなかったわね」と言う。なんで草津温泉で拉致(らち)されなきゃいけないんですか。「怖くなかった?」。洞窟風呂はちょっと怖かったけど。「あら洞窟があるの?」。それが熱くってね。「冬なのに暑いの?」。どこへ行ったと思ってらっしゃるんですか? 「北朝鮮でしょ?」
もう、怒りますよ、北朝鮮違います! 草津温泉。ク・サ・ツ・オ・ン・セ・ン! です。「あら、北朝鮮とばかり思っていたわ、アッハッハッハッ」。アーアー、歳は取りたくないと思ったけれど、今では僕の耳は瀬戸内さんの97歳を追い越しています。
以前、僕が難聴になった時、瀬戸内さんは絵が変るわよ、とおっしゃいましたよね。音楽家じゃないから、視覚には影響ないですよ、と言いましたが、最近、難聴が絵を変えてくれるような気になっています。難聴のために音が朦朧(もうろう)としていることに気づき、そうだ朦朧体のような絵を描こうと思ったのです。横山大観のような古くさい朦朧派の絵ではなく、物の存在が曖昧(あいまい)な具象画と抽象画の中間のような、どちらにも属しないそんな未完的な絵を。中庸という概念があるじゃないですか。そんな両方の「間」を取ったような絵です。