「一人の部屋で、最初、自分の目の前に大きな方眼紙を広げます。そこに黒のサインペンで思いつくまま言葉を書いていく。文字を書くというよりも、地図を描くように、ポンポンポンと。メロディはそのときの気分で、聴いたり、聴かなかったり、です。書いたら声に出して読んで、次にブルーのサインペンで言葉を修正してつなげていきます。それをパソコンで清書してひと晩かふた晩寝かせる。時間を置くと、自分の歌詞を客観視できるからです。そこからさらに修正を加えていって、仕上げます。誰に教わったわけでもなく、デビュー当時からずっと同じやり方で作詞しています」
言葉そのものは、日常生活からも生まれてくる。
「散歩中や運転中にふっと言葉が浮かびます。アルバムを制作している時期は気持ちが高ぶっているのか、睡眠中もメロディが鳴っていて、言葉が浮かぶこともあり、起きたらすぐにベッドサイドに置いてあるスマホに記録します。目覚めたときには忘れていることも多いですが、覚えていない言葉はきっとインパクトが弱いのでしょう」
そういう意味で、今作で思いの強い曲が「Ray of light」だという。
「“Ray of light”という言葉が浮かんで、いつか歌詞に、いつかタイトルにしたいと思い続けてきました。新聞を読んだり、テレビの報道番組を見たりしていると、刀のように突き刺さってくる言葉が飛び交ってる、いじめから命を失う事件がとても多くなってしまった現代、私自身も音楽で前向きになれたり前に進むことができたことを、同世代の人達だけではなく、もっと若い世代、子供たちにも届くことを願って書きました。実は私自身、中学生時代に孤立していました。学校になじめなくて、3年間誰とも口をきかずに過ごしたんです。その当時すでにボーカリストになりたいと思っていて、自宅ではアレサ・フランクリンやキャロル・キングやビリー・ジョエルなどを聴きながら、音楽と向き合うことが自分の居場所だと思っていました。そんな時代孤独の乗り越え方や心の傷の癒し方は、わかりませんでしたが、ボーカリストになるという目標があったからこそ前に進むことができました。縁があってプロになれて、キャッチしてくれる人、共鳴してくれる人がいたから歌えています。そういう私だから、『Ray of light』を歌いたかった」
この「Ray of light」のレコーディングのとき、アルバムタイトルの『ID』も思いついた。
「メロディと曲タイトルしかできていないとき、スタジオでこの曲を歌詞なしのラララ……で歌っていたんです。すると、作曲とアレンジをしてくれた多保孝一さんが、ラララで歌ってもちゃんと渡辺美里の音楽だね、と言ってくれた。それが、とてもうれしくて。私の歌は、私の声は、私のIDだと思えて。それでアルバムタイトルにしました」
(神舘和典)
※週刊朝日オンライン限定記事