「多くの方々と会って、(中略)こういうものの見方がある、考え方があるということを多く学べたように思います。(中略)自分でものを考え、決定し、そしてそれを行動に移すことができるようになったのではないか」
英国での青春時代は、自身の軸となる時間だった。
それから30年余。英国の理髪店でそっけなく迎えられた青年は、昭和の終焉とともに、皇太子となり、令和の天皇となった。
理髪室は、徳仁皇太子にとって思い入れの深い空間だったのかもしれない。築50年を経て、老朽化した東宮御所は、08年に大規模な改修工事に入る。
理髪室も、新しくつくることになった。徳仁皇太子は設計図にも目を通し、古くなった理髪の設備を新調するにあたり、椅子の革張りやカーテンの色も自身で選んだ。だが、革張りのオーダーは時間がかかる。納期の関係もあり、大場さんは、侍従を通じてこう伝えた。
「椅子は、オーダーによる革張りではなく、すでに仕上がっている品であれば、同じタイプでも価格が抑えられます。いかがいたしましょうか」
すると徳仁皇太子は迷うことなく、
「では、既製品に変えましょう」
と応じた。
「できる限り、堅実に質素にと、生活をなさる姿勢は、上皇さまも徳仁さまも同じです」(大場さん)
大場さんが御理髪掛に就任した当初、徳仁皇太子の頭皮には、炎症があった。ご本人は何も言わない。だが、たくさんの人の頭皮に触れてきた大場さんは、徳仁皇太子が抱えるストレスの強さを感じたという。
新しい御所の理髪室で大場さんは、冒頭のように、持参したイージーリスニングのCDを流し、心地よい空間を保つよう心がけた。
理髪室で徳仁皇太子は訪れた土地で出会った人びととの思い出を、にこやかに語った。
あるとき、外国を訪れた徳仁皇太子は、歓迎に出た地元の人びとに応えるため、ビオラで日本の曲を演奏した。
「みなさんに歓迎いただき、とてもうれしい訪問でした」
当時の様子を、ユーモアを交えながらこう振り返った。
「私の演奏では、みなさんに喜んでいただこうと思って、誰もが知っている曲を選びました。でも、知っている曲というのは、失敗すればすぐにわかってしまいますから緊張するものです。そのときばかりは、『みなさんが知らない曲にしておけばよかった』と思いましたよ」