18年1月、100万円がたまる見通しがついたため、いよいよネットでのPRを開始した。ツイッターとブログを同時に始めたのだ。ブログは毎日更新、ツイッターは毎日数回書き込むことを自らに課した。

「ツイッターでは、どんな店にしたいかや店でやりたいことを思いつくまま羅列し、それをまとめてブログにしていく感じでした。ブログを読めば僕がなぜ喫茶店をやりたいのかがわかるように書きました」(同)

 ある程度投稿を続けたころ、池田さんはツイッター上でえらてんさんに認識してもらうことに成功する。えらてんさんは池田さんのブログを読み、興味を持った。

「文章には人柄が出ます。地に足がついていて実直な青年なんだろうと思いましたね」(えらてんさん)

 そして、奇跡が起きる。ある日、カイリュー木村さんが仮想通貨でもうけたことをツイートしたところ、それを意識して池田さんが「仮想通貨でもうけた人、喫茶店をやるので100万円ください」とツイート。えらてんさんがすぐ「出してあげてください」と推薦したら、カイリュー木村さんは「いいっすよー」。何と出資話がネット上で決まってしまったのだ。

「えらてんさんのメソッドはドロップアウトした若者の再起に向いているんです。100万円なら失敗しても大きな傷になりません。ネットでこういうことが起こるのも面白いかなと思って、即応援しようと思いました」(カイリュー木村さん)

 ネット上でこの話はどんどん拡散された。感動した鹿児島の女性(「おりん」さん。後に池田さんと結婚)が「喫茶店で働きたい」と上京するなど、いろいろな人を巻き込みながら盛り上がっていった。

 池田さんはその後も、物件探しなどの様子を「実況中継」のようにツイートし続け、あれよあれよと言う間に3月に店をオープンさせてしまう。1月にネットでの活動を始めてから、わずか2カ月後のことだった。

「ラッキー男」に見えるかもしれないが、池田さんには戦略があった。

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