<「なにかお唄いやす」
と、芸者にそそのかされて、薩摩の兵児(へこ=青年)が唄いつづけてきた武骨な唄をうたいはじめた>
関ケ原の退却戦を伝える「妙円寺詣りの歌」だった。敵中突破を敢行する島津軍を長々と歌いあげ、ポロポロ涙をこぼした。
<芸者もぼう然としてしまって三味線を鳴らすのをわすれる始末だった>
武骨な薩摩人は芸者たちの圧倒的な人気をさらった。
99年に十五代を襲名した沈壽官さん(59)はいう。
「私の父は感情の量が大変多い男でした。怒り、やさしさ、悲しさ、すべてにおいて感情の量は圧倒的だったと思います。それゆえに多くの人々にも愛され、また闘ってきたと思います」
日韓の狭間で差別や偏見と闘い、一方で友好の橋渡しもしてきた。十五代は以前、一人前の男とはと、父に尋ねたという。
「ひとりぼっちでも寂しがらず、自分の信念を貫き通す男と教えられました」
とびきりの酒豪でもある。
「いまごろは司馬先生と向こうで楽しく飲んでいるんじゃないでしょうか」
「妙円寺詣りの歌」も披露しているだろうか。(守田直樹)
※週刊朝日 2019年7月5日号