少女時代は、声を出して笑ったことがなかった。そのことに気づいたのは15歳。高橋惠子さんが中学生でスカウトされ、映画への出演が決まり、プロデューサーや監督の前で、本読みをすることになったときのことだ。
「台詞のところに、“笑い声”とあったのに、どんなに頑張っても声が出なかった。私はもともと内気で、引っ込み思案な性格だったけれど、負けん気だけは強くて。『やれば何でもできる!』という妙な自信だけはあったんです。なのに、うまく笑えなかったことが悔しくて……。それまで女優になりたいなんて思っていなかったのが、苦手なことを克服したいと、俄然やる気になりました」
ただ、映像の仕事をしている間は、思ったことをはっきり口に出せなかったこともあり、ずっと「自分は女優には向いていない」と思っていた。
「でも、42歳で、蜷川幸雄さんに誘っていただいて、舞台をやるようになってから、『向いてる、向いてないじゃなく、その時々で自分を解放していけばいいんだ』と思うようになったんです。私だって、内面にはいろんなものを持っている。その眠っていた感情を、お芝居をすることで目覚めさせればいいんだ、と」
以来、演劇のジャンルを問わず、様々な舞台に出演している。
「舞台は、そのつどそのつど新たな気持ちでやらなければいけない大変さがあります。蜷川さんも、毎日稽古の始まる2時間前に稽古場にいらして、日常で起こっていることを全部忘れて、芝居に集中する時間を作っていらした。作品に命がけで取り組んでいらっしゃる姿に、こちらも身が引き締まる思いでした。物事に慣れる暇がないのは、舞台の魅力の一つ。あとは、極端な悪女や聖女を演じられることも面白いです」
青木豪さん脚本、河原雅彦さん演出の舞台「黒白珠(こくびゃくじゅ)」では、母であり悪女であるという。
「1990年代の長崎で起こったある家族の物語ですが、タイトルは、人を真珠にたとえた造語だと伺っています。外見は黒く見えても白い人もいれば、その反対の人もいる。ピュアな白い輝きを放つだけが愛情じゃないし、黒光りする愛情だってあるかもしれない。そんな黒と白の対比が描かれるのです。私が演ずる役も、黒も白も含んだ複雑な人物らしいので、また眠っている何かが起こされるかもしれない」
年齢を重ねて、鳥のさえずりや新緑の美しさ、道端の花など、何気ない日常を、つくづく、「ありがたい」と感じるようになった。
「若い頃は、死を観念的に捉えていたのが、この年になると、ずっとこの世にいられるわけじゃないことが、よくわかってきます。なので、美しいものや美味しいものは存分に味わい尽くしたい。女優の仕事も、今は天職だと思っていて、与えられた役割を全うしたいので、毎回真剣に、でも楽しみながら取り組んでいます」
(取材・文/菊地陽子)
※週刊朝日2019年5月17日号