ちょうど、うちも結婚して50年なんです。夫婦で寄り添ってきた老夫婦の空気がどんなものかというのは毎日、実生活でやっていますから。ただ、この主人公はあまり細やかでないし、普通の話ができない男。彼にしてみれば、居間で新聞を読んでいると、妻がそこにいる。そんな空気に幸せを感じながら、日々暮らしているわけです。「この人がいなくなったらどうしよう」なんて考えてるかもしれないけど、ちゃんとした言葉で「ありがとう」と言えない。でも、僕はちゃんと言ってますよ。年を取れば取るほど、妻には優しくなりますね。「本当に申し訳ないことばっかりしてきた。ありがとう!」って。

 父を子供のころに亡くし、僕は母子家庭で育ったんです。母は何軒かのレストランで働いて、3人の子を育ててくれた。だから「父像」はわからない。それにいくら夫婦でも「本当にこの夫で、こんな父親でよかったのか? もう少しまともであってほしかったのでは?」なんて心のひだまでは問えませんよ、怖くて。

――自身、映画でと関わるシーンはほとんどないが、実は猫好きで3匹飼っていたことがある。50代から陶芸に凝り、個展も開くほどの腕前だ。

 陶芸は足掛け20年くらい趣味でやっていましたけど、もうやめました。作品展をやったりしてると、だんだん趣味を超えて「作らなきゃ」となる。そうなると負担になってきちゃうんだね。

 俳優の仕事もね、なるべく少ないほうがいいと思ってる。食っていける程度あれば、それ以上のお金はいらないし、やりすぎると飽きるんですよ、きっと。たくさん仕事をしすぎると、僕みたいなつたない才能の男はたぶんダメになっちゃうんです。

 泉のようにわき出る才能がある人はずっとやり続けてもいいんだろうけど、僕はそうじゃない。自分に合ったやり方でやらないとね。だからエネルギーをためて「ああ、俺はこのままだったら、将来は飲んだくれのジジイじゃないか! なんとかしないと!」と渇望したときに俳優をやる。そうすると勃起するんですよ、精神がね。だからそのエネルギーをためているときに、陶芸をしたり、絵を描いてみたりするんです。

 役にはもちろん没入します。だって、それが楽しいんだもん。自分の肉体を貸してほかの人間を描いていくなんて、絵描きみたいなものですから。体がまさに筆になるわけで。

 役に苦しむこともありますよ。何もしていないと1カ月なんてあっと言う間だけど、役で苦しんでいるときは、1日がなかなか終わらない。時間が「伸びる」感覚ですよ。おもしろいよね。

 年を重ねても、一つの仕事をいただいて、それに入るときのみずみずしい感じは、はじめたころと何も変わってないですね。ただ、いまは仕事をいただいたら、それをやりきるまで死んじゃいけないな、と思いますけどね(笑)。

(聞き手/中村千晶)

週刊朝日  2019年5月17日号