今回問題となったのは下北道路だが、実は、似たような「海峡道路構想」のプロジェクトは他にも五つある。東京湾口道路(神奈川県横須賀市~東京湾~千葉県富津市)、伊勢湾口道路(愛知県渥美半島~伊勢湾島嶼部~三重県志摩半島)、紀淡海峡道路(和歌山市~紀淡海峡~兵庫県洲本市)豊予海峡道路(大分県~豊予海峡~愛媛県)、島原天草長島連絡道路(長崎県島原半島~本県天草~鹿児島県長島)だ。

 これらの構想は、87年の第四次全国総合開発計画(四全総)に萌芽が見られ、98年の全国総合開発計画(五全総)で調査が本格化したが、その後、前述のとおり、08年に「凍結」された。

 今日までの経緯を見ると、無駄な公共事業がどのように育てられ、危機を潜り抜けて、実施に至るのかということがよくわかる。

 まず、1987年の四全総を読むと、例えば、四国地方の記述には「長期的な視点から、(四国と)本州、九州との広域的な……交通体系について検討」とだけ書いてある。

 普通の人は、何のことだかさっぱりわからない。しかし、官僚たちには、これで十分だ。彼らは、この記述を頼りに、紀淡(四国と本州)、豊予(四国と九州)などの構想が認められたと解釈し、そのための調査予算をとって、少しずつ既成事実化を図る。

 そして11年の時を経て、五全総では、各構想が、例えば「紀淡連絡道路の構想については……、構想を進める」などと正式に認知される。下北道路についても、「関門海峡道路の構想については、長大橋等に係る技術開発、地域の交流、連携に向けた取組等を踏まえ調査を進めることとし、その進展に応じ、周辺環境への影響、費用対効果、費用負担のあり方等を検討することにより、構想を進める」と、構想推進が明記された。

 しかし、これらの計画には荒唐無稽なものも多く、例えば、紀淡海峡道路には、支間長2.5キロにもなる世界最大級のつり橋「紀淡海峡大橋」が架けられることになっていた。

 さすがにこんな馬鹿げた構想は、日本の財政事情から考えて到底実現不可能だし、これから人口がどんどん減っていくのに、そんなものを作っても意味がないばかりか、将来世代に維持更新投資の負担を押し付けることになるからということで、国民の批判が高まり、08年に凍結されたのだ。

 さらに、09年には「コンクリートから人へ」を掲げる民主党政権が誕生し、復活はほぼ不可能となった。多くの国民は、これらの構想はなくなったと思っていただろう。

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「凍結」は復活する