故野上祐さんの偲ぶ会には多くの知人らが集まった
故野上祐さんの偲ぶ会には多くの知人らが集まった
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野上祐さん。著書は2月20日に発売された
野上祐さん。著書は2月20日に発売された

 AERA dot.でコラム「書かずに死ねるか」を連載していた故・野上祐(のがみゆう)さんの偲ぶ会が3月9日、東京都千代田区の日本プレスセンタービルであった。友人や報道・出版関係者、政治家ら約300人が集まった。

【画像】在りし日の野上祐さんの笑顔

 野上さんは朝日新聞政治部の記者で、膵臓(すいぞう)がんを患い、2018年12月28日に46歳で亡くなった。1996年に朝日新聞に入り、社会部や政治部などで活躍。福島総局で勤務していた16年1月にがんの疑いがわかった。

 闘病の体験や政治、福島の問題などについて、朝日新聞デジタルで16年7月から月1回、AERAdotでは17年からほぼ毎週、亡くなるまでコラムを執筆していた。

 約3年間の連載をまとめた「書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと」(朝日新聞出版)が、2月20日に発売。この本に「野上くんと配偶者さん」を描いた漫画家の宮川サトシさんは、偲ぶ会にこんなコメントを寄せた。

「野上さんとは2度会っただけですが、お互いの記事や作品を読んでいることもあって、何年もつきあっているような感じでした。製本されたものを手に取ることなく逝ってしまったことが、悔しくて悔しくて涙が出ます。書き続ける大切さを教えてくれた野上さんにまた会って話がしたい」

 宮川さん自身も、過去に白血病で闘病生活をしている。がん告知された母と過ごした日々について描いた『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)は、映画化(監督大森立嗣、主演安田顕)され、2月22日から劇場公開中だ。

 朝日新聞社の先輩で公私ともに支えてきた立松朗さんは、コラムや本のタイトルについてこう明かした。

「記者が病気と向き合ったことだけを書いた方が読まれるのかもしれないが、野上さんは『闘病記ではなく政治のことを書きたい』という強い意志があった。その思いがあって、このタイトルになりました」

 とはいえ、福島の被災者のことや沖縄の基地問題など政治のことはもちろん、自分自身の心の中の葛藤も率直につづった。

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