――とはいえ、岩下が女優の道を歩み始めるのはまだまだ先。高校生まで、精神科医を本気で目指していた。

 近所に精神的な病を抱える人がいて、からかわれていたのを見たんです。なんとか助けたい、力になりたいと思ったのがきっかけです。

 猛勉強しましたが、高校2年で体を壊してしまった。原因不明の熱が出て、最終的に「小児リウマチ熱」とわかって薬で治ったのですが、学校は1年留年。そこから「いままでやっていたことは何だったんだろう」と、目標を見失ってしまったんです。

 何になっていいのかわからず、かといってお嫁さん願望もない。そんなとき父の知り合いのプロデューサーがドラマ「バス通り裏」に誘ってくださった。気分転換にやってみようかな、とお引き受けしたんです。

――だがその素質は多くの人の目に留まり、木下恵介監督の勧めで松竹に入社。1960年に「笛吹川」で映画デビューする。そして、19歳で転機が訪れた。篠田監督との出会いだ。

「笛吹川」の後、「乾いた湖」の主演を探していた篠田と脚本の寺山修司さんに呼ばれて、神楽坂の旅館で面接をしてもらいました。あのとき主役に抜てきされなかったら、いまの私はありません。

 篠田はね、派手な格好をしていたんです。本人は否定するんですけど、ショッキングピンクのショートパンツに金のペンダントで、私は「こんなに若い監督さんもいるんだ!」とびっくりした記憶があります。

 なぜ私を選んでくれたのか、いまもよくわからないです。欲もなかった。その「ぼやん」としたところがよかったのかしら。

 篠田との関係が発展したのは「暗殺」(64年)の撮影中でした。京都の撮影所だったので、夜の時間が空いてしまい、初めて「お食事しましょうか」となった。それまでは2人でお茶も飲んだことなかったの。

 先斗町のお店に行ったんですけど、私、当時お酒がすごく強くて、初デートで2人でお酒2升も飲んだんです(笑)。2合とっくりが10本も並んで。2人とも緊張していたから全然酔わなかったんです。

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