もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は女優の岩下志麻さんです。数々の作品でスクリーンを輝かせてきましたが、駆け出しのころはそれほど野心はなかったそうです。女優として目覚めたのは、夫で映画監督の篠田正浩氏と出会ってから。運命の出会いだったと振り返ります。
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のんびりしていて、どこか「鈍」だったのね。松竹に入ってからも人を押しのけてスターになりたいという欲がなかったの。「駆けずのお志麻」というあだ名がついたくらい。先輩からみると腹が立ったみたいで、ずいぶんいじめにもあいました。
そんな私が、女優としてやっていこうと思うようになったのは、篠田と出会ってから。篠田が監督を務めた「乾いた湖」の主役に抜てきされ、その後、主演の依頼が増えました。まさに人生のターニングポイントですね。篠田が映画に対して情熱的に語るのを聞いているうちに、映画の魅力に目覚めて、「もっといい女優になりたい」という気持ちが、徐々に決意になっていったんです。
――女優として目覚めるのが人より遅かったという岩下だが、芸能一家に生まれた。新劇俳優の父を持ち、義理の伯父は「前進座」の四代目河原崎長十郎。役者になりたいという思いはなかったが、女優の原点ともいえる思い出がある。
「前進座」には、近くに住んでいたので私も出入りしていました。なかでも覚えているのは郭沫若(かくまつじゃく)さんの「屈原」。第2幕は、王妃がめまいがして屈原に寄りかかったところに、王様がきて、誤解をして怒って屈原を牢屋に入れるという話でした。王妃の行動は屈原を陥れる策略なわけです。
私はどうしてか、その王妃の「ふわふわっ」と倒れかかる演技に惹かれて。1カ月の公演中、「アイスクリーム売りを手伝う」という理由をつけて、毎日その幕を見に行っていました。小学6年生のときです。
人間の毒や悪を見たというか。そういうものに感受性が強かったのかな。女優になって、悪女を演じることも多かったでしょう? 振り返れば、あれが原点なのかなと思います。