――こうやって全身全霊をささげていた俳優の仕事。自ら覚悟を決めて選択した道だったが、中年にさしかかったころ、役の幅が狭まり、今後のキャリアにふと不安がよぎった。だが、梶はこの俳優人生の岐路で、当たり役を掴んでいく。

 年齢を重ねながら、俳優を続けるのが難しいと感じていました。というのも、女性の俳優は、30代後半から、母親役ばかりになってしまうからです。

 そんな42歳のある日、新聞で「鬼平犯科帳」ドラマ化のニュースを読みました。そのとき、出演していた「教師びんびん物語II」(89年)に携わっていたプロデューサーの亀山千広さん(後のフジテレビ社長)に「(密偵の)おまさを演じたい」と申し出たのです。

 一介の俳優が、テレビ局の偉い方に直接お願いするのは、フェアな行為ではありません。それでも、どうしても出たいと思ってしまったのです。あのとき、行動を起こさなければ、その後、28年間おまさを演じることもなく、そして今、私はここにいなかったかもしれません。

 以降、テレビの仕事は「鬼平犯科帳」が中心になりました。中村吉右衛門さんを中心とした撮影は、原作と同じ雰囲気のまま、一致団結して作品を作り上げていきました。そんな日々が28年間も続きました。

――鬼平の最後の撮影は2016年。翌年、梶は6年ぶりに新曲「凛」「触れもせず」(テイチクエンタテインメント)をリリース。同時に、120万枚を売り上げた「怨み節」のニューアレンジ版を発表した。女優として異彩を放ってきた梶は、歌手でもある。03年、クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」に梶の歌う「修羅の花」「怨み節」が使われたことから、梶芽衣子の名は若者や海外にも知れ渡っていた。

 おまさ役が終わり、これからどのようなキャリアを重ねていくか、思案していたときに、新曲をリリースするお話をいただいたのです。

 70歳の誕生日を迎えた17年3月24日に、青山のライブハウスでワンマンライブを行いました。心を込めて歌った曲をライブにいらっしゃったお客さまが聴いてくださる。これは素晴らしい経験でした。

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