もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は漫画家でタレントの蛭子能収さん。テレビの旅番組ではマイペースを貫くキャラクターが大ウケ。著書『ひとりぼっちを笑うな』は、無理して他人に合わせなくてもいいと説いてベストセラーに。そんな蛭子流の生き方の原点を探りました。
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テレビに出て稼ぐのが一番いいなあと思います。旅番組は大変だけど、漫画を描くよりはラクかな~って。
漫画を描くのは好きなんです。でも本当はちょっとね、めんどくさいんですよ。1ページごとに枠を作って、ストーリーを作って、下書きを描いてペン入れをして。全部ひとりでやっているから、すごい時間がかかるんです。ストーリーにも困るから、よく見た夢を描いていたんです。忘れちゃった部分は自分で話を作って。
どうしてもアイデアが途絶えてくるんですよね。そういうときは、しょうがないのでおもしろくなくてもそのまま描いちゃう。締め切りは守りますから。編集部に「ちょっと今回のは、おもしろくないかもしれません」って言い訳して。
いや、何にも言われないですよ。向こうは雑誌のそのページが埋まればいい、と思っていますから。いやホントに。
――独立独歩で、空気を読まない。さらっと毒も吐く。でもなぜか憎めない。ある一面では、テレビでみせる顔そのままのような人生を送ってきたといえる。蛭子は1947年、長崎で生まれた。10歳上の姉は集団就職で名古屋に行き、6歳違いの兄は中学卒業後、船乗りになっていた。
ひとりは好きなんですよ。でも、寂しがり屋です。子どものころは、ほとんど母との2人暮らしのようなものでした。父は漁師で漁に出ると1カ月半は帰ってこないし、姉と兄とは年が離れていて、家にいなかったから。
高校を卒業して就職することになったんですが、ちょうど同じ年でライバルみたいな存在の人がいたんです。その人が広告代理店みたいなところに勤めることになったので、自分もそういうところに行きたいなと先生に希望を出していた。でも来た求人が看板屋さんだったんですね。リヤカーで看板を運んで取り付ける、昔ながらの看板屋さん。
「なんか、すごく損してる」って思えてきて。その同級生とは成績も同じくらいだったんですよ。「なんで先生はオレをここに紹介したんだろう」って、恨めしく思ったり。