平松洋子(ひらまつ・ようこ)/1958年、岡山県生まれ。エッセイスト。2012年に『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞受賞。ほかに『食べる私』『買えない味』など。「立ちそば」はリスペクトをこめた平松さんの呼び方。(撮影/写真部・小山幸佑)
平松洋子(ひらまつ・ようこ)/1958年、岡山県生まれ。エッセイスト。2012年に『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞受賞。ほかに『食べる私』『買えない味』など。「立ちそば」はリスペクトをこめた平松さんの呼び方。(撮影/写真部・小山幸佑)
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 東京・日本橋人形町にある「福そば」の前で、お昼に待ち合わせた。『そばですよ 立ちそばの世界』(本の雑誌社、1700円[税抜き])の巻末にも登場する立ち食いそば店だ。平松洋子さんから、少し遅れるとの電話があったため、先にカメラマンと二人で紅生姜天そばを注文した。カウンターに並ぶ山盛りの紅が鮮やかだ。

「細かく刻んだ紅生姜を散らさずに、水分を飛ばし、バリッと揚げるって難しいんですよね」

 天ぷらの衣が汁に溶けておいしかったと平松さんに話すと、こんな説明が返ってきた。立ち食いでは、天ぷらは揚げ置きが基本。だからこその「バリッ!」の技でもある。

 本書は東京の立ち食いそば26店を紹介する一風変わった本だ。「本の雑誌」で今も続く連載が元になっている。

 店内でのインタビューが生き生きしている。店主はもちろん、居合わせた常連客の会話にも耳を傾けている。タレントの山口良一氏、評論家の坪内祐三氏との同行記も収録する。

「立ちそば屋さんは、厨房が素通しだから、仕事が全部お客さんに見えます。つまり、カウンターの内と外で信頼関係が成立している世界なんですよね」

 巻頭を飾るのは、秋葉原の「川一」だ。「お父さんがある日、立ちそば屋をやりたいと言い出して、家族が、ええっ!?となった。そのお父さんが亡くなった後、お母さんと息子さんとで今もやっています」

 立ち食いそばは、どこも同じと侮ってはいけない。「福そばはやさしい味で、ふわっと人を包み込む。川一は少し味が濃いめで、カチッと存在感が立っている。日本橋の鰹節問屋の13代目のご主人もいるし、始める経路もさまざま。みんな頑固だし、勤勉だし……」

 登場する店には共通項がある。個人経営の店だ。版元の営業担当者が、本書を再読したときに思わず涙ぐんだという。

「彼のご実家は町工場をなさっていて、立ちそばは家族経営の工場のあり方にも通じていると思った、と話していました」

 安い値段で作って売って、利益を出す。それでいて自分の作りたい味や設計図が明確にある。取材を積み重ねる中で「日本人の勤勉さ、仕事に対する姿勢」を感じとってきたが、「町工場」だと言われて確信するものがあったという。

「この本を書くときに頭の中にあったのは、日本人がどういうふうに生き、仕事をしてきたのかでした。大衆的なものは、消えたら忘れ去られてしまいがち。誰かが記録しなければ」

 立ちそばに興味を持ったきっかけは、2013年に出版された、大衆そば研究家の坂崎仁紀さんの『ちょっとそばでも』だった。「35年以上、毎日そばを食べ続けた、立ち食いそば本の金字塔ともいうべき一冊です」。それを読んで以来、平松さんのそば通いが始まった。

「締め切りで机の前から動けないときでも、休み時間になると仕事場から抜け出し、今日はどこに食べに行こうかなって電車に乗ってしまいます」

(朝山実)

週刊朝日  2019年1月18日号