

放送作家・鈴木おさむ氏の『週刊朝日』連載、『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は「M‐1グランプリ」について。
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2018年のM‐1グランプリ。M‐1がすごいなと思うのは、あれで優勝すると人生が変わること。だからとてつもない緊張感を纏(まと)っている。見ているほうもそれをわかっている。勝った先には、毎年、何かの感動がある。この「緊張と感動」があると、それが先走ってなかなか笑いづらくなるものだが、M‐1の漫才にはそれを凌駕していくおもしろさがある。そこにまた感動を覚える。
そしてM‐1がとてつもなく優れているのは、審査員。松本人志さんがあそこに座ることでの緊張感と期待感。それにより、審査員の結果も視聴者は審査する。
今年の大会は、それが一番表れたのではないかと思う。上沼恵美子さんと立川志らくさんの審査が何かと炎上したとか書かれてるが、あれってすごいこと。審査員はみんな、他が大体どのくらいの点数を出すか予想できるはずだ。だから、周りと空気を合わせることもできるはず。だが、あそこに呼ばれたからこそ、自分の脳で審査すべきだと思うし、そこに爪痕を残すことも大事だと思う。だって、すべてはテレビショーなのだから。スポーツとは違う。テレビで生中継されているショーなのだ。ジャルジャルのネタの感想を振られた上沼さん。「このネタ嫌い」とまで言うことで、それを言われたジャルジャルの顔含めて視聴者には強烈なインパクトを残す。上沼さんだってここまでテレビでやってきたスターなんだから、無難にこなすことは当然できる。だけど、そこに進む。志らくさんもそうだ。99点を付けるということに挑んでいる。ネットの意見を見ていたら、漫才師だけが目立てばいいという意見もあったが、僕はそう思わない。漫才があって審査があって順番がつくのだから。そして、そういう審査があるほうが、結果盛り上がる。
もう一つ特筆すべきは今田耕司さんのMC力。審査員の言葉や漫才終わりの漫才師の発言で時折ヒヤッとすることもあるが、すべては今田さんの力で笑いに変わる。審査員もそれを信じているからこそ、勝負できるのだと思う。