■コンプレックスを持っている人こそ、自分の力を発揮する
今考えると、学校側に「東大は無理だから諦めろ」と言われ続けても「絶対に受かってみせる」と思い続けられたのは、自分の中にある「人より劣っている」という気持ちが非常に強く、「いい大学にいけば自分のコンプレックスも少しは消えるのではないか」という気持ちもあったように思います。
大人になり、自分の中で絶対的な価値観が定まってきた今では、「人は人」と考え、周りがあまり気にならなくなりました。
ただ、自分の好きな分野で周囲より劣っていると「負けたくない」という思いが出てきて、ここは頑張らねばという思いが生まれてきます。しかし、やはりそれは、子どもの頃の範囲に比べると、「自分の興味がある範囲内」に収まってきてしまっているように思えます。
昔は、「リレーの選手に選ばれたい」なんて切実に思っていたのに、今では「できる限り外に出たくない」と思うほど、運動についてどうでもよくなりました。
学校は「運動ができたほうがいい」「勉強ができたほうがいい」「歌が上手なほうがいい」「絵はうまいほうがいい」と、あらゆる方面で順位や賞をつけて、ある意味、洗脳のように上へ上へと向かわせようとします。
ともすれば、子どもの時期のほうが総じて「マルにいけるように頑張らなきゃ」と思い、バツの方向にいきそうな自分にコンプレックスを抱く機会は多いのではないでしょうか。
しかし、ある意味、そのコンプレックスこそが大きな原動力となり得るので、必ずしも悪いことではないと思います。ほどほど何でもできる人は、現状を維持していれば幸せなので、強大な向上心を持ちにくいように思います。
逆に、とてつもないコンプレックスをもっている人こそ、どこかの分野で「頑張らねば」と自分の力を発揮しやすいでしょう。
だからこそ、子どもに何かできないことがあってもすぐに手を貸してしまわず、潜在能力を蓄えている時期だと信じてみることも必要だと思います。もちろん、理不尽におとしめられている場合は親の助けが必要ですが……全部が全部、優秀である必要はないと思うのです。
「体育の成績が悪い」「歌が上手でない」など子どもがコンプレックスに思っていることがあっても、それが別の分野の原動力となり、個性につながるという可能性は大いにあります。かえって、学校が教えること全てを、可もなく不可もなくマルになるようにと考えてしてしまうほうが、将来の可能性をつぶしてしまうことになるかもしれません。
◯杉山奈津子(すぎやま・なつこ)1982年、静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、うつによりしばらく実家で休養。厚生労働省管轄医療財団勤務を経て、現在、講演・執筆など医療の啓発活動に努める。1児の母。著書に『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』『偏差値29でも東大に合格できた! 「捨てる」記憶術』『「うつ」と上手につきあう本 少しずつ、ゆっくりと元気になるヒント』など