草野仁(くさの・ひとし)/1944年、旧満州生まれ。テレビキャスター。67年NHKに入局。スポーツアナウンサーとしてオリンピックの実況中継や「ニュースセンター9時」のキャスターを務めた。85年からフリーランス。TBS「世界ふしぎ発見!」ほか多くの人気番組で活躍中(撮影/片山菜緒子・写真部)
草野仁(くさの・ひとし)/1944年、旧満州生まれ。テレビキャスター。67年NHKに入局。スポーツアナウンサーとしてオリンピックの実況中継や「ニュースセンター9時」のキャスターを務めた。85年からフリーランス。TBS「世界ふしぎ発見!」ほか多くの人気番組で活躍中(撮影/片山菜緒子・写真部)
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 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したことや忘れられない夢があるのではないでしょうか。著名人が「もう一つの自分史」を語ります。今回はテレビキャスターの草野仁さんです。

*  *  *

 NHKを辞めて、初めて視聴率を気にするようになりました。フリーになった1985年の4月から、TBSと専属契約を結んで、「朝のホットライン」という情報番組で7時から8時半まで司会を務めました。

 毎日、朝9時ごろに前日の視聴率表の一覧が出てきます。刻一刻と視聴率を追った折れ線グラフで、何時何分にどの程度上がり、下がったか、そのときは何の話題を扱っていたか。現実を突き付けられました。

「朝のホットライン」は、当時同時間帯の視聴率競争で第2位。ダントツ1位は、徳光和夫氏率いる日本テレビの「ズームイン!!朝!」で、私たちのほぼ倍近い視聴率でした。

 たまたま向こうの放送を見たとき、あ、これは勝てないわけだ、と一発で悟りました。「ズームイン…」は、朝7時から札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡などの基幹局と、地方局のアナウンサーが登場して、その地区の、朝一番の新しい情報を伝えてくれるんです。TBSは地方局2局と中継で結ぶのですが、その2局は1カ月前の会議で取り決めていた。するとどうしても新鮮味に欠けて勝負に苦労する。

 NHK時代に教育されたのは、姿勢を正して、身なりを整え、間違いないことをきっちり伝えること。それさえできれば、自分の務めは終わったと感じていました。

 でも私たちの仕事はそれだけでは、足りないんですね。情報伝達サービス業ですから。見た瞬間に理解してもらえるようにわかりやすく、明るいニュースは、見た瞬間に楽しく笑ってもらえるように編集を工夫しないと。それが視聴率に跳ね返ってくる。情報サービスを徹底するしかない。その重要なことに初めて気が付きました。同時に、より深く、真相に迫らねばとも思うようになりました。

「もう一つの自分史」というテーマで人生を振り返ると、最大の分岐点はNHKを辞めたことでしょうね。そうでなければ自分の仕事の本当のあるべき姿をつかみきれないままだったんじゃないかと思います。

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